- JRCに入ったキッカケは?
- 亀川
- 当時、高校生といえば、遊びたいとかタバコを吸いたいとか思う年頃ですよね。その頃、奉仕活動をする方というのは、清く正しい感じがするんですが、もともと何かキッカケがあって、JRCに入られたのんでしょうか?
- 一同(笑)
- 吉本
- いや、そんなに重くは考えなくて、何かできないかなって入ったら、吉田とかみんないっぱいいるから、気楽に3年間続けました。
- 山口
- じゃあ同好会ということで、クラブとはまた雰囲気が少し違いました?
- 吉本
- 違いました。別にターゲットは何もなくて、自分が時間がある時に、自分のできる範囲内で参加すればよかったから。クラブ活動みたいに毎日出なきゃならないということはないですからね。
- 西口
- 私は、浜崎というヘンなやつがいまして、そいつに誘われて入ったんです。そいつが言うには、1年の1学期に男性が1人しかいなかったそうです。
- 一同 「ああ、そうかもね」
- 西口
- たまたま席が前で、お前入れって言われて。それじゃあ、入ろうかなと。
- 野田
- よく1人で入ったわねえ。
- 吉本
- 男性は縮こまるからね。
- 山口
- じゃあ、18回生は男性はあまりいなかった?
- 西口
- 卒業アルバムの中のクラブの写真には、5人いましたね。
- 山口
- 指導の先生というか、部の先生というのは?
- 吉本
- 伊原先生?田原先生?女性の。
- 野田
- 田浦先生と浦川先生と。
- 一同 「そうそう」
- 野田
- 毛利先生も。
- 足立
- 毛利先生いたいた。
- 吉田
- 毛利先生って?
- 野田
- もの静かな先生。
- 吉田
- 物理だっけ。
- ※小野令子さん登場。
- 足立
- 私がJRCに入った動機ははっきりしてるんです。長崎の自分の家のすぐそばに盲学校がありまして、そばを通ると、目の不自由な方が2階から階段じゃなくて滑り台でシューッと降りてきて、運動場で音の出るようなボールで遊んだりするのを、小さい頃から眺めてたもので、目の不自由な方に何か出来たらいいなあと小中学校時代思っていたんですよ。それで東高に入って最初の文化祭の時、点字コーナーがあって点字をやらせてくれたんですよ。点字をやって盲学校の人にプレゼントしたいなあと思って、入ったんですよ。それで点字はわりと簡単に覚えられたので、夏休みに夏目漱石の小説を自分で作って、盲学校の職員室に届けたんですよ。
- 野田
- 点字やったねえ」
- ※みんなでひとしきり、点字の方法で話がはずむ。
- 足立
- 点字は完全に覚えてます。
- 野田
- 私も覚えてる。結婚してからもまだやってるから。点字器具は今でもありますよ。
- 野田
- 点字もよくやったけど、入った頃は、長崎駅のお掃除によく行ってましたよね。
- 吉田
- ああ、行ったねえ。
- 吉本
- 学校の掃除は覚えてるなあ。
- 足立
- 私は学校の掃除が一番イヤだったの、なんか偽善みたいで。みんながさっさとカバンもって教室に入るのに、箒をもって、なんか見せつけみたいに門のそばでやってるの。アレやめてほしいと思ってたけど、言い出せなくてね。
- 西口
- 私はみんなに会うのがイヤだから、外側。バス停のところとかをやってましたね。
- 野田
- 目につかないようにね。
- 山口
- そういう活動の方針というのは、どういう決め方をするんですか?
- 吉田
- 基本的に合議制ですね。僕らの頃は、篠原君というのがおりまして、非常に静かな男なんですが、結構そこらへんはビシッと決めてましたよ。彼がリーダーで、僕らは決まったことに文句つけながらやってたよなあ(笑)
- 足立
- でも活動に文句言っても悪いかなあと思いながら、一生懸命掃除してた。
- 一同 「そうそう」(爆笑)
- 西口
- その頃、リーダーを団長って言ってませんでした?
- 一同 「そう言ってた」
- 山口
- 部長じゃなくて、団長?
- 西口
- 期間としては、どれくらいやってたんですかねえ?
- 吉田
- 1年だと思うけどねえ
- 西口
- 私たちの頃は、いいかげんだったんですよ。やる人間がいなくて。で私が、2年の1学期にやったんですよ。
- 野田
- 短かったよね。学期ごととかね。男子がだんだん少なくなってたからね。
- 吉本
- 数少ない男子は、金の卵だったんだな。
- 足立
- なんか、フォークダンスをよくやってたでしょ?
- 吉田
- いやー、思い出した思い出した。
- 足立
- なんでかなあって思うけど。
- 吉本
- 親善のためでしょ。
- 野田
- 最初、班が別れてたでしょ、点字班とかレクレーション班とか。レクレーション班に所属してた人はそういう遊び方とかを研究してたんじゃない。
- 吉田
- いや、ホントよく覚えてるね。
- 足立
- でも吉田さんは熱心だったから覚えてるー。
- 野田
- 私たちが1年の時の3年だから、もうちょっと1戦を退いた感じ。
- 吉田
- 始めちゃうとね、わりとつっ込むタイプなんだけどね。
- 足立
- キャンプみたいなので、1週間くらい行ってたでしょ?
- 野田
- トレセンね。
- 足立
- そうトレーニングセンターに合宿で。その時は試験みたいなペーパーテストみたいなのをゲーム形式でやってたんですよね。青少年赤十字の精神とはとか、赤十字の創始者は誰とか。
- 野田
- そういう勉強させられたわねえ。
- 足立
- テストで紙に書いて出させられてね。覚えてないと、恥ずかしい思いしてたもんね。(笑)
- 野田
- それもだんだんやらなくなったよね。
- 足立
- 吉田さんみたいに、兄妹で入ってらっしゃった方は珍しいですよねえ。
- 足立
- 野田さんの家は、原爆病院に近かったでしょ?いちど、原爆病院で夕方遅くまで奉仕作業した後に寄ったのよね、10人くらいで。すごい覚えてるのよ、食べ物のことだから。吉野さんのお母さんが、夕方にもかかわらず大勢にもかかわらず、お腹がすいてるでしょうって言って、おうどんを作ってくださったの。丼が4〜5個しかないから、ラーメン用丼の人もいるんだけどって言って、全員に。
- 野田
- ああそう。それは覚えてない。
- 足立
- だけど、なんか家庭的というか、みんな仲良しだったわね。
- 野田
- うん、そうね。
- 足立
- すごく気持ちが仲良しだった。
- 野田
- 卒業生にペナントを作ったでしょ。あれはうちに来て作ったじゃない、放課後、フェルトで。
- 足立
- ああそうよ。
- 吉田
- もろうたかなあ。
- 足立
- JRCとか書いてあるやつね。
- 野田
- 私たちが3年になる時に始めたのかな、卒業生にプレゼントしようって。その時にメッセージを贈りたいということで、吉本さんにもお手紙書いて、メッセージをくださいって頼んだことがあったの。
- 吉本
- ええ−
- 一同(笑)
- 野田
- そしたらちゃんと、メッセージを送ってくださって。でもそれを私は失くして、卒業したんだわ。みんな回りの人に尋ね歩いて。
- 吉本
- その時、3年の時?そうしたら僕はもう大学生ね。
- 野田
- そうです。遠くにいる人には、そうして手紙書いてお願いしました。
- 吉本
- あっ、そう、忘れてるなあ。
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