- ■開催日時
- 4月5日(土)
- ■開催場所
- 銀座吉宗
- ■出席者
- 吉田征一郎さん(15回生)、 吉本睦郎さん(15回生)、 小野(旧姓南條)令子さん(15回生)、 足立(旧姓樋口)玲子さん(17回生)、 野田(旧姓吉野)由美さん(17回生)、 西口誠一さん(18回生)
- ■司会
- 『東風』編集: 亀川明子(26回生)、山口光太郎(17回生)
- JRCって、どんなクラブ?
- 亀川
- 今日の座談会はJRCということでみなさんにお集まりいただいたんですが、正直なところJRCというクラブ自体があまり馴染みがなかったので、まずどんなクラブかを教えてください。
- 吉田
- それが一番むずかしいところで(笑)。JRCというのはJUNIOR RED CROSSの略で、青少年赤十字の意味です。みなさんがご存じのように、平和な国や社会をつくるため、弱者を救済するために世界に奉仕するという赤十字の精神にのっとって活動する青少年団体なんだけど、現実にどういう活動をしてたかと言えば、さっぱり思い出せない(笑)。
- 野田
- JRCといえば、まず誓いの言葉から始めなきゃ。
- 一同
- そういえば、あったねえ。なんだったっけ。
- 野田
- 私たちは、青少年赤十字の一員として心身を強健にし、人のためと郷土社会のため、国家と世界のために尽くすことを誓います。
- 一同
- すご〜い。よく覚えてるね。すばらしい。
- 足立
- そうそう何か書いてあったわよね。
- 野田
- 書いたものを貼ってあって、じゃあ始めますという時に、みんな起立して読み上げてね。
- 吉田
- 赤十字の長崎県の支部があって、そこの2階の1部屋がJRCの部屋だった。
- 足立
- ほかの学校の方も一緒にいたわよね。
- 吉田
- 東高だけじゃなくて、当時西高から来てたのが、今の長崎市長の伊藤一長さ。あいつは1年下でね。
- 亀川
- 具体的な活動内容を覚えてらっしゃいますか?
- 吉本
- 孤児院なんかをよく訪問したよね。でも別に奉仕という気持ちはあんまりなくて、小さい子供たちと一緒に遊べればいいなあと思ってたよね。
- 吉田
- うん、よく行ったね。ポッと言われると、思い出すなあ。
- 野田
- 土井の首の方まで、日赤のバスを出してもらってね。
- 西口
- 私たちの時は、原爆病院のお手伝いに行きました。
- 足立
- 私たちも。月に何回も行ってましたね。
- 西口
- 週に1回くらいですかね。
- 足立
- ガーゼを巻物から正方形に切っていくのよね。折りたたんだ折り目に当たるところの糸を2〜3本抜いて、そこを切っていくのよ。
- 吉本
- 僕らの時は、原爆病院には行ってないね。
- 足立
- 私たちくらいからかしら。でも行ったと思うけど、一緒に(笑)。
- 足立
- その頃、原爆が落ちてからずーっと入院してらっしゃる方もいると看護婦さんに聞いて、ああ、その人の人生がその瞬間で変わってしまったんだなあと考えさせられました。それに、JRCはボランティア精神で入るクラブだったんだけど、当時まだボランティアという言葉が普及してなかったから、偽善みたいに受け取られる時代でしたよね。
- 一同
- そうそう。
- 足立
- だから、これは偽善なのかなあと悩みながら活動していました。でも何か役に立ってるという気持ちはあったから、楽しかったですけどね。
- 野田
- 病院からいただいた感謝状を文化祭で飾ると、批判的に見る人たちもいてね。
- 足立
- 文化祭では活動の状況を知らせるために飾ってるのにね。
- 山口
- JRCというのは、クラブ活動なんですか?
- 野田
- 同好会です。
- 吉本
- だから予算もなくて部屋もなくて。それで長崎市の赤十字の2階の部屋を借りて、活動の拠点にしていたんですよ中通りのところでした。
- 足立
- そこにガリ板なんかも置いてあって。放課後はいつもそこに行って、いろんな準備をしてましたよね。
- 野田
- まずは学校からそこに直行してたわね。
- 山口
- そうすると西高さんとか南高さんなんかもみんなそこに来ていたわけですか?
- 野田
- ただ遠いから、そんなに多くはなっかたけど。
- 吉本
- 東高の人が多かったですね。
- 吉田
- 東高が一番多くて、西高、それから商業、鶴鳴もいた。
- 足立
- 工業の人もいたわよ。
- 吉田
- 工業からは1人か2人。
- 足立
- でも熱心な方がいらしたわよね。
- 亀川
- 東高だけだと、クラブ員は何人くらいいらしたんですか。
- 吉本
- 人数?今日、僕は写真を1枚持ってきたから。ただし僕が1年生に入学した時の。
- 吉田
- えらいな。
- 吉本
- たまたまパスポートを見てたら、はさんであったのよ。
- 野田
- 入学した時、増えるのよね。
- 吉本
- 高校1年の時、川原にキャンプに行った時の写真でね。1年生のメンバーに先生が2人つきあってくれてまして。
- 山口
- 1年生だけですか。
- 吉本
- ええ、いや1年だけじゃないか。
- 吉田
- いや、わからん
- 野田
- だって多い時は、70〜80人になってたけど。
- 吉本
- 先輩も一緒だったのかな。
- 野田
- でも実際に活動したのは、そんなにいなかったわね、幽霊団員がいっぱいいてね。
- 吉本
- これ南條さんだし、これ久保さんでしょ。だから、多分これ同期の者ばっかりだと思うよ。
- 野田
- 1年生で入る人は多いんだけど、3年まで続く人はほとんどいないよね。
- 西口
- 今日ね、卒業写真を見てきたんですよ。我々の卒業写真に写ってたのは10人くらいですよ。
- 山口
- 全国的にJRCという組織があったんですか?
- 一同
- それはそう
- 足立
- でもあの頃、知られてなかったでしょ?今はペルーの人質事件なんかでも日赤が活躍してるし、日赤の活動もそういうものだってわかってきたんだけど、その頃は、全国的ではあったけど奉仕団体ということは浸透してなかったですよね。
- 山口
- 今もまだJRCはあるんですかね?
- 足立
- 今も全国的にあります。
- 野田
- 小学校ぐるみで入ってるとかね。
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