3 男性教師高原二三

高原先生の写真

 卒業式が終わった。
 ―――今年も全員元気で巣立ってゆく。
 一抹の寂しさのなかで、最もほっとする時間である。
 「高原先生いらっしゃいますか」
 保健室の戸が開いて、一人の婦人が私を見ながら、誰もいない部屋に視線を動かしている。
 「何かご用ですか」
 私が立って行くと、
 「高原先生は―――」
 と、首を傾げる。
 「あのう、私が高原でございますが」
 「まあ!」
 しばらく私を見つめて、
 「高原先生って女の先生でいらっしゃいましたか。申し遅れましたが、私はbの母でございます。何時も息子がお世話になりまして、まことにありがとうございました。おかげさまで、今日無事卒業させていただきました。
 あの子が、毎日のように先生のお噂を申します。今日は先生の仕事ば手伝うた、けっこうきつか仕事やったよ。今日はパンばおごってもろうた。今日はおしゃべりばして胸のスーッとした。こんなことを毎日申しますので、てっきり男の先生と思い込んで―――、ほんとうに失礼いたしまして。実は、ここにタバコを少し持って参ったのですが、ご主人にでも差し上げてください。商売用で申し訳ないのですが」
 「ありがとうございます。主人はタバコは飲みませんけれど、せっかくのご好意ですので頂戴して皆さんにお分けします」
 b君はとても人なつこい子であった。ほとんど毎日のように保健室に顔を見せる。
 「先生、おはよう」
 「おはよう。今日は早かね」
 「うん」
 僅かにこれだけの会話。しかし、お互いあい通じるものがある。朝から来ない日は、昼休みか放課後。自然、私も心待ちする。4、5日も来なければ、ひょっとして病気でも―――と心配になる。
 何ということもないb君との毎日のような会話が、今なつかしく想い起こされる。
 こんなとき、東高で仕事をしたことが、私の誇りになっており、そして、これからの残り少ない人生の灯火だと、しみじみと思うのである。

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