16 悲しいカルテ
私の仕事は、大袈裟だと言われそうだが、命にかかわる仕事であると思っている。
健康であってもともとなのだから、病気や怪我に一瞬の油断も許されない。
私は全校生徒のカルテを作っていた。カルテには入学式の日に集めた保健調査票から特記すべき入学前の病気や怪我と、入学後の保健室を訪れた時の症状その他を記していた。
カルテに一字も書かない日は、私の最も幸せな日である。
私の手元に悲しいカルテが一枚ある。
jさんのカルテである。
jさんの家は郊外の農家で、学校まで一時間ほどバスに揺られて通学していた。兄弟姉妹6人の末っ子で、誰からも愛される、気性のいい少女であった。
高体連の練習の仕上げのころのある朝、頭が痛いから休ませてくださいと、保健室に来た。めったに顔を見せないjさんが、珍しいこともあるものだと、体温を計ると38.5度。驚いて校医に往診を依頼した。
(25%メチロン――2cc・ザルソナール――20cc)静注 ルゴール塗布
(アルノピリン 0.5、 ナルコチン 0.8、 パンビタン 1.0、 セキサノール 2.0)分3を投薬してもらい、自宅まで私が付き添って送った。畑に出ていた母親に会い、事情を詳しく説明し、熱が下がらないようなら、もう一度医者に診てもらうようお願いして帰った。
2ケ月程して、jさんの担任から、jさんが総合病院に入院していると知らされ、
「この前の病気はもうすっかり良くなって、元気に通学しているとばかり思っていたのに、どうしたんですか」
と訊くと、あれから熱が少しも下がらず、かかっていた医者も風邪をこじらせていると言うだけで、はかばかしくないので総合病院を受診したら、直ちに入院しなければならないほどであった、という。
間もなく総合病院のt先生から、発病当時のことが詳しく知りたいとの電話があったので、jさんのカルテを見ながら報告した。
やがて、入院時、赤血球344万、白血球2,900、血小板11万、ヘモグロビン10.3g/dlであったものが、僅かの間に、白血球700と急激に減少し、「無顆粒細胞症」と診断され、重症との報せがあり、学校に輸血の申込みがあった。新鮮血が良いとのことで、級友がほとんど毎日交代で輸血に行った。しかし、それも1週間ほどで、jさんは17歳の若さでこの世を去った。
k女子大の国文科を受験するのだと、目を輝かせていたのに―――と、今でもあの時の悲しみが消えないでいる。