15 心
新学期が始まった。
私は新入生の担任から借りてきた「生徒指導個人調査票」と手元の「保健調査票」をつきあわせながら、添付してある写真で新入生の顔と名前を頭に入れていた。具合が悪くなって保健室に来る生徒に、「○○さん」とフルネームで呼びかけるだけで、生徒は安心した顔になる。こうして、私は全校生徒の顔と名前を、少なくとも90パーセントは把握していた。これは私の大事な仕事なのだ。
「あ、これは○○さんの弟か」
卒業生の兄弟姉妹はすぐに頭に入る。骨の折れる仕事だが、それなりに楽しみでもあった。
そんなところへ、3年生のh子が担ぎ込まれた。顔面蒼白、呼吸困難、痙攣発作を起こしている。
すぐにベッドに運び、脈を計った。胸苦しさを訴え、ハアハア肩で呼吸しているわりには、脈は正しく力強く打っている。体温も平熱である。
―――何という病気だろう。あるいはヒステリーの発作かしら。
手を握ってやると冷たい手をしているので、両手で温めてやりながら、
「睡眠不足ではなかったか」
「生理前ではないか」
「悩み事があるのではないか」
など、問いかけ、話しているうちに、次第に発作も治まってきた。
―――肌と肌の触れ合いが功を奏したのかな。
と、思い、また、
―――この子は情緒不安定のケースだな。
とも思った。
さて、その後、度々発作を起こし、その都度授業の先生は驚いて保健室へ運び込む。2年生の時までには全くなかったことである。
余りに回数が多いので、私は家庭に連絡を取った。
h子の家は郊外にあり、彼女は妹と自炊していた。
訪れた母親に、これまでの症状を話し、一度精密検査をしてもらうよう勧めた。母親は驚き、さっそく自宅に連れ帰り、町立病院で診てもらったという。その結果は、どこにも異常はないとのことで、登校してきた。
しかし、しばらくすると再び発作が始まった。
ある日の発作は特にひどかった。私は彼女を原爆病院へ運んだ。発作を診た医師は、入院させたうえで精密検査を行い、病名を決定しようと言う。
精密検査の結果は「過呼吸症候群」とのことであった。私は主治医の説明を聞いた。
―――過呼吸症候群とは、一般に発作性の過呼吸とそれに伴う機能障害を特徴としたもので、女性にやや多い。症状としては、h子のように、息切れ、胸苦しさ、呼吸促進、動悸、目まいなどがあり、四肢や顔のしびれ、発汗があって、手足の硬直、全身痙攣、ひどい時は失神することもある。原因としてはいろいろあるが、h子の場合は、精神的因子が強い関わりを持ち、精神不安定、心理的緊張状態、自律神経失調などが考えられる。
私はもう一度母親と会い、家庭の事情など、立ち入った内容を訊ねてみた。
母親はしばらくためらった後、意を決したように、静かに話した。
「私はh子が小学生のとき、事情があって離婚しました。そして、h子と一緒に暮らしていましたが、縁あって今の主人と再婚しました。主人にも子供がいて、二人とも子連れの結婚です。妹というのは、実は主人の方の子供です。でも、なさぬ仲の親子四人、仲良く過ごしてきました。h子がこんな因果な病気にかかったのは、私が再婚したからではないでしょうか。私と二人暮らしのときは、病気一つしなかったのですから………」
そう言って、母親は肩を落とし、涙を拭いた。
今度はh子の番だと、私は思った。
私はh子をある日遊びに連れだした。たあいのない話で時を過ごし、リラックスしたところで、私は母親の気持ちをゆっくり話してみた。うつむいて聞いていたh子の膝に涙が落ちた。
「私は………」
と、h子は意外にしっかりした口調で話しはじめた。
「母の離婚の事情もうすうすは理解しています。私を抱えての母の苦労も充分に分かっていました。ですから、再婚したことなんて何とも思っていませんし、むしろ良かったとさえ思っています」
―――この子は賢いしっかり者だ。
と、私はうなずいた。
「世の中には、ほんとにさまざまな悩みがあるのよね」
私はそれまで誰にも話したことのない私の生い立ちを話していた。そして、
「あなたの悩みは友達やろ」
と、じーっと聞いていたh子の顔をのぞきこんだ。
「はい」
しばらくして、彼女は自分の苦しさを押し出すように話しはじめた。
h子が2年生のとき、すばらしい男子生徒が現れた。彼はスポーツマンで、色はあくまで黒いのだが、男らしく、スマートで、さっぱりした気性の、しかも成績抜群の人であった。ひとり心のなかで彼を思いつづけてきたけれど、辛抱できなくなり、ある日、とうとう、私と付き合ってほしいと打ち明けた。ところが、彼は、
「自分は今のところクラブだけで一杯だ。実は、両親から大学受験を控えているのだからクラブをやめるように言われている。しかし、絶対にクラブはやめない、その代わり、勉強もがんばって目的の大学に必ず合格する、と両親にも約束しているので、悪いけど君と付き合っている暇はない―――」
と、きっぱり言われた。女の自分から言いだした恥ずかしさと、彼の決意を乱したくない思いとで、それから彼をできるだけ見ないようにしてきた。そして、彼がこのことを誰かに話すのではないかと不安でもあった。
3年生になって、同じクラスになっていた。しかも、彼の席が斜め前だった。驚いた。このまま1年間を過ごせる自信は全くなかった。すぐに担任のi先生にクラスを替えてほしいとお願いした。事情を訊ねられて、答えられなかった。君の希望を認めたら、他の人の希望も認めねばならん、そうなると、どうなるかは分かるだろうと、i先生は言った。どんな事情があっても、君なら乗り越えられるよ、困ったことがあったら何時でもおいでと、i先生はやさしかった。
「毎日が苦しかったとです。それから間もなく、自分でも気づかないうちに、あの発作が起きるようになって………」
h子は、そう言って泣いた。
これで、h子の発作は明らかに心因性のものと思われた。長期間、気長に精神の落ち着きを待たねばなるまい。
私は、i先生に相談し、母親に来てもらって、3人で話し合うことにした。そして、夏休みが終わるまで休学させよう、ただ、家でぶらぶらしていたらかえって良くない、むしろ、体を使ったほうが良い―――と、話が進み、福祉施設で恵まれない子供たちの世話をさせたらどうだろうということになった。
9月。始業式の後、誰もいない保健室にh子が現れた。
「先生。ありがとうこざいました。私は、ひとりよがりの甘えん坊でした」
と、h子は笑った。
「うん。だいでん、そうよ。ばってん、あんたは人間の一回り大きゅうなったね」
と、私は言った。すると、h子は、かぶりをふった。
「いいえ、まだまだです。先生、これから何かあったらすぐ先生のとこに来ます」
「うん。よかよ。何時でも」
私は答えながら、もう大丈夫と思った。
彼女が去った後、i先生が来た。
「先生のおかげで、あの子はあったたか子に戻った」
さすがに担任である。「あったたか子」そのものであった。でも、それは、私のせいではない。恵まれない子供たちの、というより、恵まれない子供たちの世話に夢中になったh子自身のせいである。彼女は人を思いやるやさしさと強さを身につけたと思う。
その後、h子は卒業式の日まで保健室に来ることはなかった。