14 gさんの場合
新学期が始まると間もなく、gさんが頻繁に保健室に来るようになった。もともと無口で内向的な性格の子と思っていたので、
―――何かあるな。
と、思った。
「どうしたと?」
「気分が悪いので………しばらく休ませてください」
後は、黙ったままじいっと椅子に座っているだけ。
ほとんど毎日来ては椅子に座っている。何を言っても、何を訊ねても、ダンマリ。
―――こりゃあ重症だ。
私は、そっとして、gさんのするにまかせておいた。
そのうち、gさんの方からぽつり、ぽつりと、話しかけてくるようになった。
「私は先生が好きです。だから、私の今の悩みを聞いてもらえそうなのは、両親でもなく、カウンセラーの先生でもなく、高原先生だけです」
と、目には涙さえ浮かべている。私は、信頼のことばには、極端に弱い。話せばそれだけで気が軽くなる「ナヤミ」もあろう。
「いいよ。聞いてあげる。そして、私にできることなら、何でもしてあげる」
のぞきこんだ私にgさんは、ぽつ、ぽつ、と話しはじめた。
―――3年生になって、国立文系の優秀クラスになった。周囲には、東大、京大、九大進学希望者がゴロゴロいるクラス。あまりの秀才揃いにまず学力のコンプレックスを感じてクラス替えを希望した。しかし、今までそんな前例はない、と言われ、行き場がなくなった。
「優秀クラスに入りたくても入れない人が大勢いるのに………。あんたは良かったと思わんば。クラスの成績は、たとえ昨年より下がったとしても、皆に揉まれて学力はうんと向上するはずよ」
うん、うんと、うなずきながら、目に涙を溜めている。
しかし、保健室に来る回数は増えるばかりか、とうとう不登校という最悪の事態になってしまった。
出席日数不足で卒業できなくなることを恐れた母親が、車で学校まで送り届けていた。
gさんの保健室通いは止まなかった。そのうち、ふと気づいたことがあった。彼女は、ある時間帯に限って保健室に来るのではないか―――。調べてみると、担任の国語の時間
であった。
「立ち入ったことば訊くばってん………」
と、私は、思い切って話しかけた。
「あんたは、x先生の授業の時は、必ずここに来るよね。何かあっとね」
しばらく、黙っていたが、やがて口を開いた。彼女は、必死に私に訴えた。
―――担任の先生には、どうしても付いて行けない。はっきり言って生理的に嫌悪感を覚える。何か言われると、鳥肌が立ってくる。しんぼうして授業を受けていると吐き気がする。他の教科のときでも、ひょっと担任の顔が目に浮かぶと大声で叫びたくなる。
聞いて、私は、最初、医者の一人娘のわがままかと思った。
しかし、そうでもないらしく、担任を良い先生と思うように努力すればするほど、嫌悪感は強まる、と言うし、実際x先生の授業に行きなさいと勧めると、ゲーツと吐く始末。
x先生は決して悪い先生ではない。ただ、旧家育ちで、細かな所に気が回らないところがあって、少女のデリケートな心情が理解できず、「金持ちの医者のわがまま娘」と受け取り、自分の指導力で立ち直らせてみせると意気込んで接したものだから、結果的にコジレルだけコジレてしまった―――と、私には思えた。
gさんの話を聞くと、2年の時の担任はy先生、x先生と同じ国語の先生で、彼女はこのy先生に心酔し、憧れにも似た感情を持っていたらしい。当然のことながら、3年になってもy先生のクラスになりたいと願っていた。ところが、何かのはずみにこの事を知
ったx先生は、彼女の前でy先生を批判したらしく、それが余計にx先生不信につながったようである。
最悪の日が続いた。あいかわらず保健室へ日参である。
カウンセラーの先生も困り果てていた。
家庭でももてあまし、両親揃って学校に相談に見えた。最初は学校の指導をなじったという。しかし、いろいろな話を聞き、
「私どもの育て方が間違っていたのでしょうか」
と、肩を落としたという。
保健室にも両親揃って顔を出し、父親は、
「私は精神科の医者で、患者も診ますし指導もしてきましたが、娘のこととなると、さっぱり分かりません。あの子は、高原先生が好きだ、先生の傍にいると気が休まる、と日頃申しています。先生、いま、あの子が何を考え、どう思っているかを、聞いてやって下さいませんでしょうか」
と、率直に頭を下げるのだった。
数日後、校長室へ呼ばれた。教頭、学年主任、カウンセラーが集まり、gさんの去就について協議しており、私の意見が聞きたいとのことであった。
私は、これまでのことを詳しく話し、できたら一人の娘を助けるつもりで、gさんの希望どおりクラスを替えてやってほしいと頼んだ。
3年の学年会議では相当に揉めたという。しかし、教頭の決断でgさんのクラス替えが決定された。
「高原先生が諸種の状況を専門家の目から見て、クラス替えをしたが良いとの意見なので、前例とせず、今回は特例としてクラス替えをしましょう」
こうなると、私は心配でならなかった。
―――もし、gさんの症状が好転しなかったら………。
と、考えると、体の震えるような毎日になった。
しかし、それは杞憂に終わった。gさんは、日々元気を取り戻し、見違えるように明るい表情を見せはじめた。
廊下でたまたま顔を合わせたとき、
「先生、どうして私はあんなになったのでしょう。不思議でなりません」
gさんの目が生きていて、私はほっとした。
「おかげさまで………」
と、卒業式の日、母親はことばをつまらせ、涙ぐんで頭を下げた。
「おめでとうございます。ほんとに良かったですね」
私も嬉し涙が出た。
一養護教諭が前例のないクラス替えを実現させ、一人の少女が見違えるほど明るい笑顔で卒業してゆく―――私は、久しぶりの充足感で、明日への歩みを確かめていた。