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東高西山校舎入口

 東高に養護教諭として赴任して間もないころ、先生も生徒も私を「看護婦さん」と呼ぶのはいい方で、「赤チン先生」「目洗い先生」などと呼ばれていた頃のことである。
 レントゲン検診の結果が来た。敗戦後数年を経た当時は、肺結核が多かった。
 a先生が「c1」とある。
 私はすぐにa先生にその旨お話しし、「c1」が何を意味するか丁寧に説明した。そして、これからの健康管理の大切さを説き、
 「山好きの先生だからお辛いでしょうが、しばらく登山は中止なさったほうがよろしいと思います」
 と、付け加えた。
 a先生は不服そうに私の話を聞いていた。話が終わると、私をにらみつけ、一言もなくぷいっと保健室を出て行った。
 ―――ショックだったのだろう。
 と、私は同情して見送った。
 翌日、校長室に呼ばれた。a先生も同席していた。
 校長は私に言った。
 「a先生から話は聞いた。しかし、教員の健康管理は校長の責任だから、話すことがあれば私から話をする。君はでしゃばらないでよろしい」
 私はがっかりした。「養護教諭の仕事」に対する理解は皆無だった。
 ―――校長先生ですらこの程度だから、これからが思いやられる。
 私は無言のまま胸の裡で溜め息をついていた。
 すると、a先生が腹立たしげに言った。
 「あなたは医務室で生徒に赤チンでも塗ってやり、正露丸でも飲ませてやれば、それでよかとですよ。教師に指導するとは、―――分をわきまえんですか」
 私は頭を下げて校長室を出た。すぐに辞表を書こうと思った。
 保健室の机に座り込むと、悔し涙を流していた。
 ―――ここで辞めたら負けたい。
 涙のなかで、辞表は書かない、と決意した。
 その後、a先生は冬山に登り、「カゼ」をひいた。それが「肺結核」の始まりで、長い入院生活に入り、療養の甲斐もなく不帰の客となってしまった。
 見舞いに行ったとき、
 「あん時、あなたの注意ばよく聞いておくとだった。今になっては後の祭ばってん」
 と、言って目を閉じたa先生の寝姿が忘れられない。

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