長崎県立美術館、知事公舎、ユースホステルを壊して、その跡地に歴史文化博物館が建設される予定ですが、この場所には、長崎奉行所(立山役所)がありました。
長崎奉行所は最初、現在の興善町にありましたが、その後、現在の県庁の場所に移り、延宝元年(1673)に立山役所ができました。
長崎県教育委員会は、平成14年7月28日~平成15年3月31日のスケジュールで、この立山役所の発掘調査を行っています。
発掘調査では、正面階段や石垣、またこのほど、濠(ほり)が出現し、濠の中から十手(20数cmのもので、与力、同心がなどが指揮用に使っていたと考えられる-実戦用のものは50cmくらいある)日本各地の焼き物、ヨーロッパ産の焼き物、ワインボトル、クレーパイプ(オランダで作られた石膏製のパイプ)が出土したそうです。
2002年9月7,8日に県教委による発掘調査の説明会があり、説明会に参加し、写真撮影してきましたのでご紹介します。
長崎奉行所の正門前の階段。幅が7.8Mで一段の高さが13cm~18cm、奥行きが36cmあり、実際に階段を上り下りしてみましたが、歩きやすかったです。
階段の側面です。いわゆる美術館の前の道路側から写したものです。石垣も綺麗なものでした。
階段の横の写真ですが、前の写真の反対側のものです。ここの一部に小さなトンネルのようなものがあったのですが、これは明治期に作られた水路ということでした。その水路も四角い石を敷き詰めてあるのですが、その石に年月日などを彫ってあることから、今の図書館のちょっと下に以前稲荷があり、歴代の長崎奉行が石灯篭を奉納していた石だろうとの説明でした。
階段の全景です。今見えている石段の一番下は踊り馬場になっていて、そこから更に向こう側(今ある階段に対して直角方向)に階段があるということです。
薄緑に見えるのが、濠です。右側の石積みは、明治期に作られた井戸。左上にひさしのように見えるのは、取り壊された知事公舎の入り口の門です。
この濠の水は、立山の上部から流れてきていたものだそうです。中ほどに階段がありますが、これは濠の水を汲んだり、洗濯をしたりする時に使ったということです。右側の石積みは明治期に作られた井戸。