長崎には、ぶらぶら節、浜ぶしの他にも、歴史を感じさせる優れた歌が残っている。その中の代表的なものをご紹介します。
春雨に しっぴり濡るる 鴬の 羽風に匂う梅ヶ香や
わたしゃ鴬 ぬしは梅 やがて 身まま 気ままになるならば
花にたわむれ しおらしや
小鳥でさえも一筋に ねぐら定める木は一つ
サア 鴬宿梅じゃないかいな
サアサ 何でもよいわいな
1846年に作られた長崎を代表する歌の一つ。作詞は柴田花守、節付けは丸山の女と言われているいる。花守は肥前小城の藩士で、長崎勤番のときに作った。国学者でもあり、蘭学にも心を寄せており、後に神道実行教初代管長になった人物。
花月の境内稲荷社の前に「端唄はるさめ誕生の地」の碑がある。
九連還は唐人の長崎土産の一つ。九個の環からなる指輪である。唐人と丸山遊女との愛情を唄った端唄めいた俗謡で、"主にもらった知恵の環を、手に抱いて来は来たが、解くに解かれず、切れやとて切れず、ほんにやるせがないわいな"という意味。
唐人屋敷の唐人や、唐人通詞仲間の酒席では必ず唐人踊(看々踊)を踊った。そこにはべる遊女芸妓たちも見よう見まねで胡弓や琴の音じめに合わせて、歌ったり踊ったり、長崎の中国的気分を発揮した。
九連環は長崎から全国に流行していくうちに、中国語の歌詞が日本風に変形し、歌いやすく覚えやすいものになっていく。
かんかんのうの意味はあまり明確ではないが、後半部分はなんとなく卑わいなものになっている。しかし、九連環のメロディーは生かされ、リズムが付き、すり鉦などで拍子をとり踊り出す。文政の頃は浪速から江戸の芝居小屋に登場。太鼓、蛇皮線、鉄鼓、胡弓などの囃子にのって、唐人服の踊り手が身ぶりもおかしく踊り歌う。これが大当たりをとって、子供たちが真似をして町を練り歩き、大人も一緒になって踊るようになり次第に卑わい化されていく。
文政五年には江戸町奉行が禁止令を出すが、明治になって「とっちりちん」「梅ヶ枝」「法界節」「さのさ」へと受け継がれていった。
春風に 庭にほころぶ梅の花
鴬とまれや あの枝に ホーカイ
そちがさえずりゃ 梅がものいうここちする ホーホケキョ一日も 早く年あけ 主のそば
縞のきものに 緞子の帯 ホーカイ
似合いますかえ こちの人 素人じみたでないかいな 上等はくらい(舶来)
長崎ホーカイ、のちにホーカイ節と言われたものの前身で、明治20年頃に流行った。月琴の伴奏で歌われた。