長崎学のページ
ぶらぶら節とおくんち
ぶらぶら節はおくんちに欠かせない舞踊になっている。
毎年、どこかの踊り町が所望踊りの中に「ぶらぶら節」を入れ込んでいる。平成11年のおくんちでは、桶屋町が「ぶらぶら節」を奉納した。
長崎っ子にはおくんちの説明は改めてする必要もないが、簡単に整理しておこう。
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【おくんちの起源】
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・寛永3年(1626年)、9月9日に湯立て神楽を諏訪神社に奉納。
・寛永7年(1634年)、7日と9日に傾城町(古町、桶屋、今博多町、八幡町、紙屋町一帯)の遊女が謡曲の舞を諏訪神社に奉納(この頃の諏訪神社は現在の松の森天神のある丸山にあった)
ちなみに遊女町が丸山、寄合町に移ったのは寛永19年。くんちは9日からきている。
その後「くんち」は幕府の切支丹禁令政策に沿って発展してきた。諏訪神社の祭りとして切支丹布教を防止する先兵的役割を果たしたのである。「くんち」が豪華・華美になるのを禁じることをせず、むしろ「おとがめなし」と承認したこともうなずける。
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【踊り町】
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踊り町は遊女町が先頭を切った。くんちの起源が遊女の奉納の舞に始まったことに由来しているのだろう。この遊女町を「露払い」とし、それに続く町を「お供町」と言った。お供町は当初六十三カ町の三年廻り。その後、寛永年間に七十七カ町の七年廻りとなった。
しかし、寄合町、丸山町は交替で毎年の踊り町の露払いを務めた。現在では他の踊り町と同じく七年廻りとなっている。
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【くんちのだしもの】
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だしものを奉納踊りという。また、必ず奉納踊りの先頭は傘鉾となっている。傘鉾は各踊り町の町印の役割を果たしている。
奉納踊りの種類としては
1)本踊り
2)引きもの
3)通りもの
4)かつぎもの
5)舞いもの
に大別できる。
踊り町によっては1)の本踊りと2)~5)のいずれかを奉納したり、あるいは1)の本踊りだけの奉納、また、2)~5)の中のいずれかの奉納とそれぞれである。
なお1)の本踊りのアンコールが所望踊りであり、ぶらぶら節はこの所望踊りで演じられることが多い。
ご存じとは思うが、長坂からのアンコールのかけ声は
1)が「所望やれ~」
2)~5)が「モッテコーイ」である。つまらない奉納踊りには「モッテイケー」という辛辣なかけ声もあったという。
2)の引きものは、鯨の汐吹きや川船など。
3)の通りものは、以前は豪華な大名行列などが奉納されていたという。
4)のかつぎものは、樺島町のコッコデショが唯一である。
5)の舞ものには、おなじみ龍踊りなどである。
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【本踊りの演じ手】
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以前は検番(芸者さん)が務めた。小説の中にも、愛八やお雪がくんちので踊りを奉納するシーンが書かれている。
現在では長崎の検番がいずれも高齢となったため、日本舞踊の先生とそのお弟子さんたちに依頼しているとのことである。ただし格式を重んじるおくんち。踊り町と踊り手さんは儀式としての養子縁組を行い、おくんちに備えるそうである。