「長崎市内とその周辺の伝説(その6)」のページ

福田と浦上 (宮林、神楽島と式見、桑姫さま、鎮懐石、ベアスト様、岩屋神社と鬼の足跡、滑ら石) の伝説です。

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宮林
稲佐から西泊を越すと福田、長崎の港からは皇后島、高鉾島、神の島を船で越すと小一時間で福田港に着く。 福田町の氏神天満宮は千本松原のなかの椎の木の茂っているところにあり、これを「宮林」という。むかし、 佐々木という神主が眠っていると神霊が現れ、津波が起こって宮床が海に浸かるかも知れぬとお告げがあった。 また次の夜、夢に津波が自分の胸まできているから早く助けてくれとのお告げで目覚めた。さらに神霊が早く 助けてくれ、自分はもう首まで海水に浸かったという。そこで戸を開けてみると海水が満ち満ち、社殿は半分 海水に浸かっていた。佐々木は首まで浸かり御神体を抱き、自宅の神棚に安置した。そして現在の梅園山に遷 した。前の社地を「宮林」と呼んでいる。
神楽島と
式見
この辺の地名には神功皇后にまつわる地名が多い。式見の沖にある島を「神楽(かぐら)島」という。神功皇后 が神楽を奉納させ、帰還を祝い旅の安全を祈った。その式を見ようと、村人が集まったので「式見」という。 また、式見の淡島神社は女性の潮の神で、安産の神としてむかしはお参りする人が多かった。
桑姫さま
桑姫はキリシタン大名大友宗麟の娘で、「阿西御前」という名であった。他の説では大村義純の娘、マキゼンチャ という人もいる。大友家が滅亡し桑姫も親元を離れ流浪の旅に出て、最後の安住の地を長崎に求めた。長崎には キリシタンも多い、姫がキリストを讃えても誰も役人に密告する者もないだろうと思い、淵村の志賀という家に身を 寄せた。彼は淵村の信者や里人の尊敬を集めていたのである。村里では、美しい姫が、桑の葉を摘み、蚕の飼い方を 手ほどきするのを見て、誰言うとなく「桑姫」と呼んだ。墓は竹之久保のもと砲兵隊跡にあったのを明治になって、 淵神社境内に移した。「桑姫さま」と親しまれている。宮司下条さんの話では、この裏に墓碑銘のない墓が三つある。 それが大村家の墓か、神功皇后が三韓から帰還の時、途中で背いた三人の高官の墓かは不明である。ただ、大分の 国東半島に多い家紋がここにも見られるという。
鎮懐石
三韓征伐のおり、神功皇后は妊娠していたが、御裳の腰にはさまれた呪石で出産前に目的達成を祈願した。 長崎市坂本町の長崎大医学部正門脇に、稚桜(わかざくら)神社の石祠がある。火打ち石のような赤白い「 鎮懐石」は山王神社に預けられ、安産のお守りとして崇められている。
ベアスト様
次に「ベアスト様」の墓の話。浦上全村がキリシタンだと知った奉行は村民全部を処刑できないので、中心人物 、父ジワンノ、母ジワンナと息子ミギルの三人を捕らえる為、小峰(現:本原一丁目)におもむいた。九月のある日 ジワンノは稲の早刈りをし、モミを搗き、新わらで草履を作った。ジワンナは妙に早始末したなと思っていたが、息 子のミギルは薪採りに山へ行っていた。役人が来ると、「お待ちしていました。親子揃って縄を受けます。息子の帰 るまでお待ちください」とジワンノは言った。ジワンナは新米で飯を焚き、役人にも御馳走し、新草履を差し出した。 ミギルが帰ると三人は縛られ、水責めで改宗を迫られたが信仰を捨てず、塔の尾で火刑にされる事になった。しかし 村人はその事を知って火種を早く消してしまった。あちこち探したが誰もくれなかったので淵の百姓から火種をもら って火あぶりにされたと伝えられている。
岩屋神社
尾の道駅から西へ約1キロの所に「岩屋神社」がある。石の鳥居はいまは町の中になっているが、むかしは大村藩の 方から沢山の参詣があった。参道にあたる長い山の中の道を歩くとき、必ず新しい草履に履き替えて、踊ったり呪文 を唱えてお参りしたと伝えられる。この神社はもともと岩屋山神宮寺でその末寺が淵神社で神仏混淆であった。
鬼の足跡
「鬼の足跡」はこの裏手にある。沢山の鬼が住んでいて足跡が大きな岩についているという。この神社の奥地の山には 200ばかりの墓石が散らばっていた。それを地元の有志が一カ所に祀り「仁田尾さま」と呼んでいる。
滑ら石
「滑ら石」はこの滑石川の社殿の近くに雄と雌の石が川床に横たわっていたのをいう。この石は女陰を暗示 したものかどうかはハッキリしないが、古老の間に伝わっているスリ鉢踊りからすると、こっそり子を授か りに女性が訪れていたようである。また明治10年(1878)ごろから蛇踊りも引き継がれ10月10日がむかし から滑石太神宮のお祭り日である。
参考文献: 日本の伝説28「長崎の伝説」:福田 清人、深江 福吉著(角川書店)
            長崎新聞の切り抜き(20数年前、日付不明)
      NBC長崎放送での放送のメモ書き(10数年前、日付不明)


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