JRC座談会ーその4


悩み、楽しんだJRCの青春

足立
団体としては、やっぱり人が良い人が集まるクラブだったと思う。自分が入ってていうのもおかしいけど、やさしい人が多くて楽しかった。
吉本
続いていた人たちは、そういう人だったんだろう。いやな人は早くやめちゃってしまうからね。
足立
だから雰囲気はすごく楽しかったですよねえ。
野田
楽しかったあ、私。高校の3年間はJRCしかないっ。

一同  「お〜お」

吉本
そうだよねえ。ある意味では僕らの生き抜きではあったと思う。学校での授業、家に帰ったら勉強、あと受験の大きな流れの中でね、気分転換。

一同  「うん」

山口
普通のクラブと違って、今おっしゃったみたいな自由な空気があるとすれば、それはそれで楽しいクラブだったでしょうねえ。
吉本
週に何回かは支部に行ってね。
小野
おまんじゅう屋さんによく行った、支部に行った時。

一同  (笑)

小野
1個5円か10円か。
吉本
中通りのところにあったんだよね。
足立
トコロテンも食べたんだ。
吉本
あれ、どこだったんだっけ。
吉田
中通りの今のアーケードの細くなる手前のところ、車が入れなくなる1つ手前。
野田
眼鏡橋の…、青空市場ってあるでしょ?あの奥隣。
吉田
2階建の建物でね、白い古い洋館の。
西口
部室が無かったから、私なんか毎日行ってました。
足立
今考えると、奉仕活動で放課後支部に行って、夕方遅く家に帰ってたんですね、うちは浦上の方だったから。いまみたいに受験戦争の時代だったら、親はやっぱりやめなさいって行ったかなあと思うんです。夏休み中、こもって点字を打ったり原爆病院に行くよりも、やっぱり自分のことを考えなさいって言うのかなあって思うと、あの頃は良かったなと思います。
山口
先生との交流なんかは?

一同  「あんまりなかったなあ」

西口
私は覚えてないですよね。
山口
ということは、団長さんが。
野田
それか赤十字の北島先生。

一同  「そうそう、いたいた」

※写真を見ながら

吉本
ここに、小島一慶が写ってるもんね。
足立
あら、そうなんですか。
吉本
そう、同期でJRCだった。
山口
あの方は、演劇部では?
吉本
長くはいなかったですけど。
吉田
おしゃべり一慶
吉本
ああ、あの頃からもう天賦才がありましたよ、いやいや。
吉田
ほんと、しゃべりはうまかったよなあ。もう、やかましかって言ってた。 一同(笑)
山口
卒業されてからは、JRCとして集まられたことは、あまりないとか。
吉田
ない。結局、大学がバラバラでしょ?
吉本
長崎に帰った時、何人かとは会うことはあったですけどねえ。ちゃんとしてみんなで集まろうというのはなかったですよ。
吉田
いや、何のことはない。ここにいる吉本良子さん、当時何て言うたっけ?今嫁さん。  一同(笑)
山口
西口さんもそうですよね。
野田
そうよねえ。
山口
だから今日は、どちらかはご夫婦でご出席いただきたかったんですよ。

一同  ああ、なるほどね(笑)

山口・亀川
本日はどうもありがとうございました。


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