東高カイジン抄

カイジン――?
 広辞苑には「怪人」と出ていますが、「快人」もあっていいのではないかと思います。
 もちろん、ここで言うカイジンは、「灰塵」「灰燼」ではありません。
 最初は「ゴウケツ」にしようかなと思いました。しかし、「千人にすぐれたるを豪といい、万人にすぐれたるを傑という」と何かで読んだ覚えがあって、
 ――えっ、これを豪傑だというの?
 と反論されると少々困ります。
 もちろん、こちらとしては、
 ――だって、「野の花」の豪傑だもん。
 という言い逃れは用意できているのですが……。
 「快人」にせよ「怪人」にせよ、何を基準に「快」といい「怪」と感じるか、人によって異なるヤッカイなことばです。ある人にとっては上に「不」が必要ということになりかねません。
 前置きはこのくらいにして、東の「カイジン」の二、三をとりあげましょう。
 お読みになって、「快」か「怪」か、もしくは上に「不」の字をつけるか、それはあなたのご自由に――。

 その日は当直でした。
 用務員室の隣に当直室がありました。八畳ぐらいの和室です。
 何気なく障子を開けて立ちすくみました。
 芝岡先生が、あの痩身の背筋をのばし、正座していらっしゃいました。先生の前に、先生の二倍はあろうかと思われる大柄の男の子が、これも正座しています。
 二人とも、入ろうとした私を振り向きもしないで、にらめっこをしています。
 夕方の薄暗い部屋に、ある切迫した気迫みたいなものを感じ、私はそっと障子を閉めました。
 職員室に戻って椅子にかけたとき、
 ――ああ、そうか、そうだったのか。
 と、つぶやきました。
 東高に赴任して以来、生徒指導に関する職員会議(訓戒・謹慎・退学などを審議する会議)がないのを不思議に思っていました。県下の一流校ともなれば非行に走る子はいないのだとばかり思い込んでいたのでした。
 少々の非行は、芝岡先生の胸にしまいこまれたまま、外に出てくることはなかったのでした。
 ――生徒指導とは本来かくあるべきものかもしれない。
 そんなことを考えながら、私は暮れてゆく窓の外を見ていました。
 やがて、先生が職員室に入ってこられました。立ち上がって思わず頭を下げた私に、先生は小さな口をわずかに横に引いてうなずかれました。
 「はい。」
 と、私は答えていました。先生のうなずきは「他言無用」を告げていらっしゃると思えたのです。
 先生は厳しい表情をくずさず、職員室を出てゆかれました。
    ひとをいかる日
    われも屍のごとく寝入るなり
 八木重吉の詩が私の胸をよぎりました。
 私は去ってゆかれる芝岡先生の細い後ろ姿を見送って立ちつくしていました。

    月夜の晩に
    アレせぬやつは
    地獄で天女が 抱きしめる
    抱きしめる
    抱きしめる
    ショウカイナ ショウカイナ
 一方を二重に折った座布団を折り畳んで両手でつかみ、腰を落として、ひょこひょこと歌い舞う――。卑猥な感じは微塵もありません。
 ――性とは、もともと、かくも朗らかで屈託のない姿かもしれない。
 そう思わせる芸です。
 片桐先生の酔余の芸はこれ一つでした。
 先生は島原商業の女子バレー部の部長・監督として、高校総体での優勝を続けていらっしゃいました。
 試合の途中タイムを取り、選手を並べて女の子を順に平手打ち――タイムの内容はそれだけでした。
 現在(いま)だと、いい新聞種になり、もろもろの教育評論家のヒステリックな批判にさらされたことでしょう。
 東高に来られて、職員バレーでお見受けしたところ、先生のバレーの実技はほとんどゼロに近いのではないかと思いました。
 かつての島商バレー部の方々でしょう、島原弁のご婦人の一団が先生の柩を涙してお送りなさっていた光景が思い出されます。

 「酒の香のする明晰さって良かですね。」
 と、片桐先生を評したのは、私の教え子のカイジン関根一郎君です。
 午前中の早い時間帯の世界史の時間、彼はしなくてもいい質問をあれこれと考えるのだそうです。そして、授業が終わると教卓に直行して質問するのを楽しみにしていたといいます。
 「プーンってお洒の匂いのすっとですよ。そして、質問ばじいっと聞いて、真剣に答えてくださる。最高ですよね。」
 長崎大学医学部進学後、私の家で最初に酔いつぶれたときの関根君の述懐です。

 「先生、急いてはいかんよ。相手は人間ですよ。しかも、大人になりかかろうとしている ……。」
 片淵の山の上に向かう帰途、私の抱えている生徒の問題を相談したときのことです。
 「放っといて、じいっと見といてやらんですか。大丈夫ですよ。」
 全面的な確信に満ちた人間信頼のことばに感銘をうけて、私は自分が救われるのを覚えていました。
 ――教師とは永遠に(生徒に)裏切られる存在なのだ。
 と、覚悟していました。
 そして、同時に私は思っていました。
 ――教師は生徒にとって強大な壁であっていいはずだ。彼等が全力でぶつかってきたら、全力ではねかえす。はねかえされても、はねかえされても、それでも立ち向かってくる力が、強い次の世代を生む。そんな自覚と自信を教師は持ちたい。
 「それでは子供の個性が圧殺される」――冗談じゃない。それぐらいで潰される「個性」なんて犬の餌にでもしといたらいい。明治の教育は強烈な個性を何人も作り上げているではないか。それに比べて……。

 青雲高校の一回生(彼等も卒業して二十年を経ました)の一人が言いました。
 ――先生のことばで忘れられないのがひとつあります。「人間ってあんまり進歩しないんだよな。女の人を見てみろ。腕輪に首輪に耳飾り……、あれは未開人の装飾品だろう。いまに牛みたいに鼻輪をつけたのがでてくる」。ほんとだったなあって思います。それに近頃は男もですから。
 彼は笑いながら、眉を顰めていました。
 外出することが極端に少ないので、いったん外に出ると驚くことがたくさんあります。
 この夏、所用で広島に行きました。
 電車に乗り込んできた少女(?)――腕輪に首輪に耳飾り、そしてでっかいドタ靴、お召しになっているのがユカタ。
 デンと私の前に腰を下ろしてグイと両脚を開きました。
 目のやり場に困っている私に、お隣の老婦人、
 「あのう、あれは……浴衣ですよね。」
 「そうらしいですな。」
 「……。」
 見ると老婦人、感動のあまり口も利けないありさまで、ぽかんと眺めていらっしゃいました。
 先日、これは近くのマーケット。たばこを買いに行って、ついに発見しました。
 十五六歳の女の子です。緑と赤の髪、瞳の上に紫、黒っぽい唇、首輪と腕輪と耳飾り、そして、ああ、白の鼻輪。
 ――出たっ!
 って感じでした。
 私の予言は的中したのです。
 大予言者は喜んでいいはずなのに、なぜか背筋が寒くなりました。
 ――あれが、「自由」と「個性」を標榜した日本民主主義教育のナレノハテ……。
 ショックのあまり、他の大多数のみごとな若者に眼がゆかなくなった予言者は、とんでもないことをつぶやいていたのでした。
 ――日本人は確実に滅びの一途をたどるであろう。きたるべき二十一世紀は、人種や国籍は問題にされなくなり、うるわしい日本文化も姿を消してゆくであろう。かくのごときを歓迎する風潮は、おそらく、アメリカの占領政策、というより謀略によるのではなかろうか。
 しばらく時が経つと、
 ――年寄りに「みごとな」と思われる若者の方がむしろ不気味だな。
 と、思いました。
 若者はいつの世にも年寄りの顰蹙を買って生きています。かく言う私もそうでした。せいいっぱいの自己表現こそ若さの特権というものでしょう。
 とは言っても、ユカタと鼻輪の少女に拍手は送れません。それだけ年寄りだということでしょう。
 年寄りの「カイジン」は、せめて浴衣や着物や下駄を愛用して、頑固に若者に向き合いたいと思います。

 本田一夫先生のつぶやきを思い出します。
 「叱ることを怠ったとき、教師は教師でなくなるんだよな。」
 四十年も前のことばです。
 現在ではすなおにうけとられないかもしれません。

 「昔の子供のいじめにくらべて、今の子のいじめは陰湿だなどといわれている。それが本当なら、大人の世界の陰湿さの反映である。昔の親や教師と今の親や教師とでは、子供の扱い方がまるで違う。一言でいえば過保護になっている。(中略)昔のように厳格な父親もいなくなり、厳罰主義のこわい教師もいなくなったのである。子供の歓心を買うような親や教師が増えている環境の中では、子供の心理も複雑に屈折せざるをえないだろう。近頃では大人顔まけの心理的技巧を心得た子供だって珍しくないのである。」
 『最後のコラム・鮎川信夫遺稿集103篇』(文藝春秋版)の一篇「自殺したいじめられっ子」の一節です。
 自助の精神が弱く、耐性を欠いた子供が増えている現状を観るとき、昭和六十一年に書かれたこのことばは、胸に痛くひびいてきます。

 「怪」とは「並でない」の意でしょう。
 「怪傑」――不思議な力を持ったすぐれた人物(現代国語例解辞典・小学館)
       すぐれた能力を持つ、非凡な人(新明解国語辞典・三省堂)
 「怪人」――正体の分からない、あやしく不思議な人物(例解)
       神出鬼投で、次にどんな行動をとるか予想のつかない人(新明解)
 その他「怪偉」「怪漢」「怪童」「怪物」……。
 「並でない」ものは誰でもそれぞれに持っています。ですから、君もあなたもそして私も、みんな「怪傑」であり「怪人」なのです。
 それを証明する名文句があります。
 「俺とお前は違う人間に決まってるじゃねえか。早え話がお前がイモ食ったって、俺のケツから屁がでるか。」
 という、ご存じ「男はつらいよ」のフーテンの寅さんのせりふです。
 眉を顰める方には、「天上天下唯我独尊」(宇宙間に自分より尊いものはない)という釈尊誕生の時言われたことばを挙げておきましょう。

 お釈迦さまのおっしゃる「誰にもない尊い自分」や「お前とは違う人間」や「並でない自分」は、ふだんは目立たないようです。何かに触れて、キラッと輝き出てきます。
 東高で多くの「カイジン」の輝きに出会った幸福が無上のものに思えます。
 そういう出会いを「昔話」のように書き綴ってきました。
 「もういいよ」とおっしゃる声が聞こえてきます。
 そろそろ店じまいしてもいいころですね。

―了―

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