50年タイトル画像

 「六十八だもんな。」
 と、私は自分の年齢を口にしてうなずいていた。
 長崎東高校創立五十周年記念同窓会の案内をいただいて、その返信はがきをポストに入れながらである。あいにく当日予定していた用事があって欠席に○印をつけていた。
 私は旧制中学の最後の卒業生であると同時に、新制高校の第一回卒業生でもある。したがって、新制大学の第一回生でもある。
 「五十年……か。」
 下駄を引きずりながら、またつぶやいていた。
 つぶやきながら、「五十年」ということばが心にひっかかって離れない。いつか、どこかで眼にした、ずうんと心に染みることばがたしかにあった。
 ――あれは、何だったか。
 帰ると心当たりを探した。容易に見つからない。あきらめて仕事に戻った。仕事をしながら、心の隅の「五十年」が、時々ひょっこり頭をもたげた。
 ――誰のエッセイだったかしら。
 仕事を中断しては、これと思う本をめくる日がつづいた。
 ――エッセイではない。詩だ。そうだ詩だった。
 手持ちの詩集を探した。詩集は恥ずかしいことにごくわずかしかない。
 ――詩でものを言おうとは思わないからな。
 と、手元の詩集の少なさに自己弁解をしながら、
 ――それで、よくもまあ、詩の授業がやれたものだ。
 と、思った。
 ――生徒は気付いていたかもしれない。詩の授業の冴えないぼくを。
 詩は難物である。あれこれ解説を加えると、詩は死んでしまいそうな気がする。うっかりすると、「誰だ。俺の花園に土足で踏み込むやつは」と、詩人に追い出されそうで、気が気でない。
 とはいえ、
 「君たちがいいと思えばそれでいい。心にひびくかひびかないかは、君の心次第だ。ひびいた詩は、いいなあ、と思えばそれでいい。」
 などと、授業を抛り出すわけにもゆかない。
 しかし、私自身が詩の心をつかめていない、それなのに、授業で扱わないわけにはゆかぬ。詩の単元が近づくと、私は憂鬱になった。
 評論やエッセイや小説は、得心ゆかぬとき、私はその一字一句を、句読点もそのままに原稿用紙に写したものである。そうすると作者の息づかいが指先から伝わってきて、教師用指導書にはない新しい発見があった。あの心のときめきは無上の楽しみでもあった。
 ところが、詩は書き写しても、容易に詩人の心がつかめない。つかめないどころか、かえって迷ってしまうことすら多い。
 ――所詮、ぼくは詩の心の分からぬ男よ。
 という結末があるだけであった。
 そんなことを考えながら手にした文庫本に「五十年」があった。
 井伏鱒二『厄除け詩集』(講談社文芸文庫)。その解説「人と作品・井伏鱒二」、河盛好歳氏の文章にそれはあった。

      

五十年             木山捷平

  濡縁におき忘れた下駄に雨がふつてゐるやうな
  どうせ濡れだしたものならもつと濡らしておいてやれと言ふやうな
  そんな具合にして僕の五十年も暮れようとしてゐた

 「濡縁におき忘れた下駄」にも似て東高におき忘れたもの――、あるにはある。国語科主任になったとき手掛けたもの。『古典学習必携』、『古典教材集』。
 『学習必携』は最初のものだけにかなり詳しく覚えている。
・古文読解の基礎作業(豊永 徳)
・文法のまとめ(豊永 徳)
・陳述の副詞(田中哲男)
・重要古語(篠崎久躬)
・特殊な修辞(豊永 徳)
・その他の基礎知識(田中哲男)
・文学史系統図(亀井守正)
・漢文(岩崎善一)
 教材研究の傍らそれぞれの分野に苦労が多かった。それだけに出来上がったときの喜びもひとしおであった。そして、この小冊子は、教師の使い方によっては、大変効率的に古典の神髄に迫ることが出来る、と確信したものであった。
 それぞれに工夫が凝らされているが、ここでは私自身のことのみにとどめる。
 <古文読解の基礎作業>は、実は大学入試問題を七項目に分類し、その対策を述べたもの。そんなことはオクビにも出さず「基礎作業」としたあたり、私もこの頃からかなり老獪になっている。
 <動詞分類表>を一ページにまとめたり(これは、動詞の活用表を見ていて思いついたことを書き並べているうちにまとまったもの)、<係り結び>を文節間の関係で表示したり(当然のことなのに文法教科書では扱っていない)、その他、助動詞、助詞は解釈上重要なものから配列したり、といったぐあいである。
 『古典教材集』も、国語科全員に分担、必読の文章を選んでもらい、それをさらに篩にかけて編んだ。設問はあえて付けなかった。使用する学年を考慮したのである。
 このなかに、文法を見直す章がある。その冒頭に宇治拾遺の文章を採っている。一見何でもないようなこの十三行は、実はある意味ではすごい十三行なのである。下一段活用「蹴る」(一語しかない)を除く他の全ての活用の動詞がこの十三行に潜んでいる。この文章は野口錚一先生からいただいた。
 いま、見直すと多少改定したいところもあるけれど、当時としては、この二冊は東高の国語科の総力を結集したものであった。
 おもしろいことに、『学習必携』は、浪人してはじめて価値を見出す人が多かった。時には他の学校の卒業生が、譲ってほしいと学校を訪れたりした。
 『現代文問題集』が続いて編まれた。「読解についての手引きと例題」の「手引き」や冒頭の「意解と事解」という野地先生の一文を見ると、私も関与していたと思う。しかしこれもまた国語科の先生方の苦心の総結集であった。手元の本にはりつけてある解答のプリントは野口先生の文字である。ガリ版の文字が当時の熱気を伝えている。

 茫々三十年の昔が蘇る。
 今この三冊はどうなっているのだろう。あるいは「雨が降ってゐる」かもしれない。「どうせ濡れだしたものならもつと濡らしておいてやれ」と思う。

 折から梅雨……。
 高校を卒業してから「五十年」、六十八歳の頭は雨で黴が生えかけているようだ。

―了―

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