石田行先生からの便り
この度長崎東高在京同窓会の皆さんからご招待の声がかかり、本当に恐縮しております。折角の機会ですし、また健康ですのでお受けしたいと存じます。さて「光陰矢の如し」とよく言われますが、早いもので私が東高校に赴任したのは今から43年前、昭和29年4月でした。田舎の三養基(みやき)高校より都会の東高校に参りましたので、何につけても、びっくりする事ばかりでした。着任早々1年8組の担当を命ぜられ、学校の様子も、また街の地名、様子など何一つ分からず、ただ、うろうろするばかりでした。
新一年生の校舎は今でも忘れませんが、グランド側の一段下の古い二階建の木造校舎の暗い教室で、近くに柔道場、プール、体育館がありました。それから在職八年間、いろんなことがありました。4月の唐八景への歓迎遠足、6月の県下高体連体育大会、学校より医大グラウンドまでのマラソン大会、秋の体育祭等が記憶にあります。これらのスポーツ関係で特に心に残っているのは、県下高体連体育大会でマスゲームとして一年生による柔道の段形を堂々と大観衆の前で展開したことで、翌日の新聞に、さすが長崎東高生は文武両道の面に特に優れていると、大きく報道されたことです。また街中を孟宗竹が走る光景、あ、そろそろ東高の体育祭だなあと町内では有名になっていたようです。その孟宗竹での桟敷作りの熱心さ、また上手なこと、専門家にも負けない立派な桟敷であったと思う。さらには女の組の桟敷を作ってやった奇特な生徒もいたようでした。
また校外に目を向けると、田舎者の私には、びっくりすることばかり、特に夜景の美しいこと、よく百万ドルの夜景と言われますが全くその通りだと痛感しました。あのお諏訪さんの祭礼の「だし」の響き、また掛け声、夏の精霊流しの鉦の音、宗福寺の夏祭り等に素晴らしいことばかりで、今も心にはっきりと焼きついています。長崎は活気あふれる街でした。素晴らしい長崎東高また素晴らしい長崎の街の思い出にいつも、いつも浸っています。これからも体の続く限り東高の同窓会には顔を出すことにしています。 最後になりましたが、皆さん、人間は何と言っても健康が第一です。「健康は最大なる財産なり」と言うことをお贈りして終わります。