◆著者による内容紹介
 池田政懋(寬治)は長崎生まれで長崎東高とは縁のある人物である。淵源の一つ長崎広運館で明治維新期に阿蘭陀通詞からフランス語の教員に転じ、「近代日本の養父」と言われたフルベッキの推薦を受けて明治4年の岩倉使節団に四等書記官で参加する。帰国後は大久保利通のもとで内務省出仕、台湾出兵処理の北京交渉でも大久保利通の随員を務めた。のち初代の天津領事(当時は清朝)を経て長崎税関長を最後に30歳あまりで病没した。
 使節団出航時の46人のうち、池田は名高い阿蘭陀通詞吉雄耕牛の曾孫吉雄永昌吉雄と共にこれまで経歴不明となっていて、時には旧佐賀藩出身などとされてきた池田の短かった生涯をたどる。