22回生渡邉志郎さんの新著をご紹介します。渡邉さんは、幕末のオランダ通詞を調べているうちに、偶然、岩倉使節団に随行した肥前国出身の池田政懋という名前に遭遇されました。帰国後の経歴の記録はあるものの、前半生はほとんど判っていないため、可能な限りの資料にあたり、池田政懋の全体像を明かにされました。この著書により、幕末から明治にかけて、特に長崎の近代史に新しい1ページが加わった感があります。


◆著者 渡邉志郎(22回生)
◆出版社 好文出版
◆判型 B5版
◆頁数 235頁
◆ISBN 978-4-87220-237-3
◆発行日 2024年5月26日
◆定価 本体3,000円+税
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◆著者略歴
1970年 長崎東高卒業
1978年 早稲田大学大学院文学研究科博士課程前期(中国文学)修了
放送局勤務後、現在、無職
◆著書
詩集「秋庭歌」(檸檬書館、1983年)
詩集「球陽通信」(紫陽社、1986年)

目次
はしがき
序 章 池田政懋とは誰か
第 一 章「行ケヤ海ニ火輪ヲ轉ジ」池田政懋はアメリカへ
第一節 池田政懋はなぜ使節団四等書記官に
第二節 池田四等書記官は何をしていたか
第三節 池田政懋アメリカへ出発
第 二 章「陸ニ汽車ヲ輾ラシ」池田政懋はヨーロッパ、パリへ
第一節 池田政懋はロンドンへ
第二節 池田政懋はヨーロッパ本土へ
第三節 池田政懋われはパリにあり
第四節 池田政懋はパリからベルギーへ再びパリへ
第五節 池田政懋はパリから日本へ
第 三 章「使命ヲ絶域萬里ニ奉ス」池田寛治断章
第一節 東久世通禧とその後の交遊は
第二節 木戸孝允との縁
第三節 西岡逾明との関わり
第四節 池田寬治はボアソナードを知っていたか
 
第 四 章 池田政懋あるいは池田寛治を探して
第一節 池田寛治とは何者だったのか
第二節 池田寬治を探して
第三節 池田寬治はフランス語を学ぶ
第 五 章「外交内治ノ前途ノ大業」名村常十郎と呉常十郎
第一節 池田政懋は岩倉使節団に
第二節 池田寛治は天津へ
第 六 章「萬里馳驅英名ヲ四方ニ宣揚シ」池田寬治の遺したもの
第一節 池田寛治を再び尋ねて
第二節 池田寛治の義兄吉雄辰太郎
第三節 池田寛治は甦るか
あとがき
主要参考文献と論文
◆著者による内容紹介
 池田政懋(寬治)は長崎生まれで長崎東高とは縁のある人物である。淵源の一つ長崎広運館で明治維新期に阿蘭陀通詞からフランス語の教員に転じ、「近代日本の養父」と言われたフルベッキの推薦を受けて明治4年の岩倉使節団に四等書記官で参加する。帰国後は大久保利通のもとで内務省出仕、台湾出兵処理の北京交渉でも大久保利通の随員を務めた。のち初代の天津領事(当時は清朝)を経て長崎税関長を最後に30歳あまりで病没した。
 使節団出航時の46人のうち、池田は名高い阿蘭陀通詞吉雄耕牛の曾孫吉雄永昌吉雄と共にこれまで経歴不明となっていて、時には旧佐賀藩出身などとされてきた池田の短かった生涯をたどる。
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