「ひがし」(1961版)
昭和36年1月20日
編集兼発行:長崎県立長崎東高等学校 全日制生徒会

弓 タイトル画像

 東高に入って、僕は勉強でない或る一つの事を学びとったような気がする。それは「人間には或る一定の年令に成長すると、心の中に空白と言う状態が存在する事実を感じとる時期がやってくるものである」という事だ。

 東高に入ってまもなくあったクラブ紹介の時、各クラブの代表が壇上で口角泡を飛ばしてわめき散らすのを聞くまでもなかった。なぜなら中学の時から弓道部にと僕自身で腹をきめていたから……。
 初めての試験、おっかなびっくりで勉強らしい勉強もやらなかったけれども覚悟していたよりよかった。そこで僕は自分の臆病さを嘲った。"ソラミロ!一学年デ優秀ナクラスダト言ッタッテ、タイシタコトナイジャナイカ"この怠慢な気持ちはすぐ次の考査に響いてしまった。全く泣きたくなるような出来ばえ。なんだか皆から置いてきぼりにされたようで意気消沈してしまったものだ。
 この時から、僕は弓道部に入っていた事がうれしかった。引きしぼられた弓につがえられた太矢が、不安、不満をのせて一つの的に向って飛んで行く気がした。朝早く、緑ヶ丘で弓を引いている時、僕の顔は秋の空のように晴れわたり、何の不安も感じられなかった。大きく言うならば無念無想の境地である。僕はうるさい先生や皆といっしょに引くのは好きではない。一人で思う存分引くのが好きだ。そういう僕の心のどこかには一種のソリテュードな感情が働いているかも知れない。腹が立った時も、的に当たろうが当たるまいがかまわない。放課後暗くなるまで自分勝手に引いて帰ると気がせいせいするから不思議である。
 試験の結果が悪いときも家の者は理解があるのか諦めているのか知らないが、弓道を止めろとは言わない。一年の時はそれでよかったが、二年生ともなると我が家の家庭争議で当然の如く弓道の事が槍玉に挙がりはじめてきた。まるでクラブ活動が僕を勉強させないものの象徴であるかのように……。しかし、高体連が近まると「練習をしっかりやりなさい」と言う始末、全く大人と言うものは勝手なモンダ。自分では勉強とクラブ活動を両立させていると自分勝手に満足しているけれども、家の者は僕の脳味噌を二つに分けると、更に悪くなるとでも思っているらしい。とうとう遠まわしに口説かれてやめさせられてしまった。但し、大学に入ってからは思う存分弓を引いてよろしいという条件付。(ドウモカツガレタラシイ)
 しかし、僕は今後悔している。クラブ活動をやめたと言ってもただ家庭で遊ぶ時間が多くなったにすぎず、勉強の能率は前より悪くなってきたような気がする。僕にとって弓道は一粒の清涼剤の働きをしていたのかも知れない。だからといって今さら戻るわけにもいかない。ようやくボソボソと計画をたてて勉強する手はず(?)を整えだしたのであるが、それが何時迄続くものやら先が見えているような気がしないでもない。時たま「もう一度弓を引いてみたい」と思う気持は、好きなクラブ活動を止めただれにも通ずる感慨ではなかろうか。しかし僕も男の意地というものを持っている。爪の垢にも満たないものであるが、その希少価値のある意地を大いに駆使して大学に入る迄は絶対に弓を手にすまいと覚悟している。とは言うものの、弓道を止めたと言う事は僕の高校生活に何か大きな空白を残してしまったのではないかという気がする時もある。しかし何はともあれ、あと一年余りの高校生活、何らかの形で意義あるものにしたいと思う。