ドナウの真珠・ブダペストの旅

鶴 初見(高比良)


  8回生で東欧の旅と知り、はるばるシンガポールから駆けつけました。リストの「ハンガリー・ラプソディ」やバルトークの曲など、先ず音楽から、ハンガリーへの憧れが生まれましたが、絵画はどうだろう?他国の侵入、占領、「ハンガリー動乱」など、幾度もの激動の時を乗りこえて鉄のカーテンから姿を現してまだ7年。人々の暮らし振りはどうだろう等、心が騒いだ。

 見渡す限りの平原の中のブダペストに、降り立つ。

記念像  「美しき青き……」というより緑色のゆったりと川巾広く流れるドナウ、両岸に王宮のある丘のブダと平原に連がる商業地ペスト、その北部にローマの遺跡のある旧ブダ(オーブダ)が広がっている。市街は茶褐色の重要な建物が連なり、英雄広場の群像等、古い歴史を物語っている。王宮や街の壁には銃弾の跡も残っていて、この街が受けた戦火を思い出させるが、早朝の街は犬の散歩、ジョギングの人、花売りのおじいさんと、普通の平和な市民の暮らしぶりである。音楽会やバレーやオペラ等のポスターが目立つ。

 民族博物館でパオなどを見て、ハンガリー(マジャール人)の先祖がウラル地方からきた遊牧民族であり、欧州唯一のアジア人種であることを確認。赤ん坊のお尻に蒙古斑があるそうである。

 念願の絵画は、ハンガリア人の作品を主とした王宮のナショナルギャラリーへ見に行った。絵も彫刻も地味で堅実な写実で、農村や牧場での働く人々や、身近な人々をモチーフにしたものが多く好感が持てた。見に行った友達と「良かったね」と言い合いつつ、時間に追われ、半分程で引き上げた。心残りで、また、ゆっくり来て、英雄広場にある2つの美術館や現代美術も見たいものである。ジプシーなども心に残る思い出となった。

 ハンガリーとオーストリアの国境付近は、黄色の小麦畑とポプラなど緑の森のゆるやかに起伏する丘陵地帯だが、折りから激しい雷雨と雹で、たちまち真っ白に降りつもる雹に視界を閉ざされた。1989年この国境を超えて東ドイツ市民が怒涛のように西側へ脱出し、それからベルリンの壁の崩壊へと動いたあの衝撃の日々を思い出させられる。

 この後のウィーン、プラハと思い出は深いが、何より東高の仲間と久々の交友を持ちつつ旅した楽しさが最高のものとなった。


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