プラハ紀行

辻 知広


 われわれ一行35人は、6月24日、小雨の中を、ウィーンからバスで最後の訪問地プラハに到着した。
古城   早々プラハ城内にあるレストランで昼食をとったが、なかなかの味で、チェコのハベル大統領もしばしば訪れると支配人が話していた。城内の旧王宮には、体育館ほどもある床が土のたいへん広い部屋があり、何に使うのかと思ったら、かつて貴族らが馬に乗って武術の試合をしたということだった。
  見物が終わるころには雨も本降りになり、待っているはずのバスがおらず、10数分歩かされたのには閉口した。

  プラハの街には古いビルが目立ち、旧東独製の2気筒エンジンの乗用車“トラバント”が、まだあちこちで走っていた。エンストを起こして立ち往生し、真剣に直しているチェコ人の姿をみると、逆にほほえましくさえ感じた。
  3年前ベルリンを訪れたが、西側との格差をみるにつけ、共産主義とは一体何だったのかという思いにかられる。共産主義そのものに問題があったのか、それとも旧ソ連の支配体制がいけなかったのか。短期間の旅行では、その答えはわからない。


森の小径  町の中心部にあるヴァーツラフ広場には、“プラハの春”の犠牲者の写真が今なお飾られていた。2日めの25日は、プラハからバスで1時間あまりかかるボヘミアの古城を訪れた。天気もよく、途中から馬車に揺られて深い森の小径をたどるさまは、なかなか風情があって楽しかった。数日前に訪れた“ウィーンの森”より、こちらの方がずっと“ウィーンの森”という感じがした。古城からは静かな湖が見え、案内してくれた若いチェコ美人の青い澄んだ瞳に見とれていると、何かおとぎの国にきたような印象を受けた。  あるじが好きだったという狩の獲物のはく製がたくさん飾られており、別の部屋には19世紀に日本から取り寄せた陶磁器などが所狭しと並べられていて、当時の生活が偲ばれた。


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