昭和57年 長崎大水害


昭和57年の長崎市の大洪水の模様(眼鏡橋、鳴滝町)です。 ・・・・・ (by 榮岩)


当時の眼鏡橋


現在の眼鏡橋(近撮)



当時の城の古跡から鳴滝方面の写真と鳴滝川の写真です。


それは、長崎市民が今まで見た事も聞いた事もない激しい雨の降りようで あった。昭和57年(1982)7月23日に長崎地方を襲った湿舌現象による未曾有の集中豪雨は、 長崎市を中心に、犠牲者299名、被害総額3154億円という甚大な被害をもたらした。 都心部被害では中島川の眼鏡橋が元凶となって氾濫、水害が起こった理解も一部にされているが 実態は中島川の支流であるシシトキ川・銅座川の氾濫の影響が大きく、また満潮時と重なった為に 江戸時代以来の埋立地である浜の町や築町の浸水被害が大きかった。


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