もう一つの同窓会

11組 岩井 実

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 8月10日に30年ぶりに長崎に入って,すでに5日が過ぎた。今日の精霊流しを見終わると,いよいよ明日は卒業以来30年ぶりの同窓会だ。朝,循環バスで昔のマラソンコースを逆回りに回って浦上天主堂,一本鳥居,崇福寺,浜町と歩き回る。 18回生の事務局である喫茶ココに行く。明日の出席者の名簿があるのでページをめくっていくと,一番後のページに「東郷洋子」と名前が出ている。(後で知ったことだが,彼女の姓だけが新姓のところに旧姓が書いてあったという)秋島君に「彼女は小学校の同級生なんやぞ」と話しかけると,彼は「途中で転校したらしかとばってん,どうしても東高の同窓会に出たかけんいうて,古川さんが連絡してきたとさ」と言う。「何,古川さんも来っとや。古川も東郷も小学校の同級生や。明日は36年ぶりの小学校の同窓会ができっとや」と心楽しくなり小学校のことが口に出てしまう。そういえば,小学校での同級生は東高に4人しかいないのだが,後一人は長崎に居るらしいが同窓会には顔を出さないようだ。そうこうしているうちに精霊流しが動き出したので,稲佐山に登る。何を見ても30年と言う枕詞がついてしまうが,稲佐山から見る夜景は初めて。市内で鳴らしている爆竹の音が山の上まで聞こえてくる。夜景を写真に収めて山を下りる。駅前から五島町,興善町,勝山小学校前を通りココへ戻ってくる。秋島君が「今まで古川と東郷が居ったとに」と言う。「あなたに逢いたくて」と思いながらも,スカーレットのように 「明日のことは明日考えよう」と,津上君と松尾君 と酒を飲みに行く。
 いよいよ16日。同窓会の日である。バスに乗り込み,雲仙新湯ホテルに着く。着くとすぐに宴会場に集合ということで,集合写真を撮り,くじでひいた席に座る。30年ぶりに見る顔は半分以上がわからない。隣が指方さんだったので,どうにか安心する。指方さんに「古川さんはどこ?」と聞く。「あそこよ」と教えてくれたので,さっそく古 川さんの所へ行く。小ギャルから古ギャルへの変化はあるものの,小学校の時と同じ目,顔つきであった。互いに挨拶をし,東郷さんを尋ねて,3人で36年ぶりの再会を祝う。宴会も終わり二次会 に行き,ここでも小学校の同窓会の二次会をする。
 翌日,古川さんが車で来ているということなので,八木さんを含めて4人で仁田峠へ向かう。小学校の修学旅行が雲仙だったので,3人してその頃のことを話し出す。小学校の先生が今も網場で健在だという話から,雲仙から網場に行き,それから長崎見物というプランができ上がった。仁田峠に着いてみると,普賢岳は一面にガスがかかって普賢岳が見えない。車から降りて歩いていると前からどこかで見たような人達が来る。よく見ると,さっき別れた18回の仲間であった。互いに手を振って別れる。小地獄に行ってみようと行ってはみたが,立入禁止になっていた。次は,八木さんの実家へ向かう。八木さんのお宅の大きいことには驚かされた。3人で彼女の家へ上がり込む。少しの休憩のつもりであったが,八木さんの母君が島原そうめん,冷やし汁,採れたばかりのおくら,家でつけた梅干と,ご馳走していただき,2 時間以上もお邪魔してしまう。
 八木さんの家を後にして,一路網場へ向かう。 途中「二度あることは三度あるというけん,注意 せんといけんね」と言うと,東郷さんが「普賢岳となんやったけ?」と言い,ついさっきの小地獄のことをすっかり忘れてしまっていた。「先生にどういうふうに紹介しようか」ということになり2人は私の本妻と二号さんということにしようと話がまとまった。「どっちが二号になる?」と聞くと,古川さんが「二号のほうが気が楽やけん,うちが二号」と言って,3人とも笑いだす。車の中では,小学校の時の思い出に花が咲く。2人は先生に鼻をピーンと指ではねられたことが思い出深かったようであった。
 いよいよ網場に着く。昔の感じと違うが,古川 さんが何となく覚えていて近くまで来る。あとは電話しかないので,先生の家へ電話を入れる。先生はいらっしゃるということなので3人でお宅に伺う。先生は病気を患われて右半身が思うように動かせない。それでも36年ぶりに会った3人に対し,涙を流し全身で喜びを表してくれた。小学校 の時の思い出を3人がかわるがわる話すと,うな ずき時には手で足をたたき,先生も思い出に浸られたようであった。
 先生のお宅を出て,今度は長崎見物である。勝山小学校,諏訪神社と思い出の場所を訪ねた後, 浜町でからすみを買う。東郷さんが,からすみは 焼いて食べるものかと聞くので,古川さんと2人して「たらこと違うとよ」といい,3人して大い に笑う。その後,吉宗で食事をし,30年ぶりの長崎の味を満喫する。吉宗を出て,ホテルに荷物を 置いて,グラバー園へ行く。3人でグラバー園を 歩き,グラバ-邸のすぐ下で長崎の夜景を見る。 東郷さんが歌い出すと,古川さんもそれに合わせて歌を歌い出す。なかなか息のあった2人である。 聞けば,家がすぐそばでお互いの家に上がり込んでは下校後の宿題をしていた仲で,「いっちゃん」 「ようこちやん」の仲であるという。当時は,クラ スを押さえていたボス2人で,お互いにライバル 意識に燃えていたという印象しかなかったのだが,このような仲であるとは初めて知った。夜景にあう曲が次から次へと出てきて,音楽会に来ているようであった。「明日は何時に長崎を出発する?」 と,どちらからともなく聞くと,東郷さんは10時で,私は9時の汽車であった。古川さんが「それ上じゃ岩井さんの9時の汽車で一緒に帰ればよかや ない。でも邪魔かもしれんげんね」と言うが,「一緒に博多まで帰ろう。明日また会おうね」と言って別れる。
 翌朝,長崎駅で2人と再び会う。時間になって 古川さんと再会を約束し,東郷さんと汽車に乗り・ 込む。古川さんは,汽車が出発すると東郷さんが言ったように汽車を追ってかけだす。小学校の時かけっこが早かったというだけのことはある。彼 女の姿が見えなくなるまで,2人で手を振り続け 別れを惜しむ。東郷さんと博多まで,小学校のこと,高校のことを話す。高校の時にこれほど話ができていれば,36年ぶりの同窓会ではなかったのだが。あの時代,男性と女性が学校であれ外であ れ,話しているだけで噂がたったので,話もできなかったと,2人して当時のことを話し合った。
 東郷さんと博多で別れ,白い川原の木曾川を遡上しながら,長崎の生き生きとした緑と違う信州 の緑を見ながら,長崎を離れて12時間,二つの同 窓会の旅を終えた。今年の夏は思い出深いものとなった。
 今回の同窓会のため,ご尽力下さった皆様方に心から感謝する次第です。この後,35周年の同窓会が長崎で開催することがあるようでしたら,出席したいと思っております。最後に,皆様のますますのご発展とご健康をお祈りいたします。



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