玉川上水ハイキング

2008−03−13

                                           
  春まだ浅き武蔵野を歩く      
     玉川上水の中流域を西から東へ先人の業績を偲びながら辿る

今回の玉川上水コースは羽村市の多摩川の取水口から新宿御苑まで全長43kmの内の玉川上水駅の近くの清願院橋からスタートし上水沿いを平櫛田中館や都立小金井公園などを経由し東小金井駅に至る13kmの距離を踏破しょうとするものです。
今日のコースの大半を占める玉川上水の歴史は古くその開削通水は今から354年前の徳川4代将軍家綱(3代将軍家光の長男)の時代の1654年。発注者幕府。工事惣奉行が川越藩主老中松平伊豆守信綱(知恵伊豆の別名で知られる)だそうです。
元請は町人庄右衛門・清右衛門兄弟。この兄弟その功績により苗字(玉川)帯刀を許されのち勲五等を賜ったそうです。
唯工事は勾配を確保出来ず通水に失敗し大幅なルート変更を余儀なくされたり二度目は水喰土(みずくらいど)という通水が全部地中に吸い込まれ消えてしまう場所に遭遇するなどの失敗を重ね6〜7500両の工事費を使い果たし完成までには私財を投じたと伝えられています。
唯この羽村からの取水ルートに於ける工事は土木技師の支援も得て完成し更に各地に分水し不毛の三多摩の灌漑や新田開発にも大きく貢献し人口百万(享保年間に人口調査)の大江戸の台所を賄う重要な都市インフラの役割を果たしました。
また上水の両岸に奈良の吉野山、常陸の桜川などから山桜の名品種が取り寄せられ植樹された小金井堤の桜は寛政年間から江戸の名所として歌川広重の錦絵にも描かれたりその後の整備も進み小金井の千本桜としてその名を知られ長く賑わいを見せたそうです。
時は移り小金井堤の桜は今は都立小金井公園にその役割を譲りつつあり、玉川上水も流水が無くなる危機を乗り越え今は保存に向けた歴史環境保全地域に指定された開渠部分約24kmは玉川上水緑道として現在、都立公園になっています。

○コース(主として玉川上水緑道沿い)
  玉川上水駅〜小川橋〜鷹の橋〜小平中央公園〜平櫛田中彫刻美術館〜都立小金井公園
  〜浴恩舘公園〜東小金井駅

○所要時間  6時間半  (反省会除く)
○歩行時間  3時間半  (午前中1時間半、午後から2時間)
○歩行距離  約13km

今日の参加者(15名) あいうえお順・敬称略   
  有馬祥子・草野溥子・近藤静代・谷原迪子・中島紀久子・林 洋子・平野輝代
  茨木一明・草野興芳・呉 信裕・下田浩六・中山友義・西田孝義・原田 靖
  三谷彬明 の皆さん


今日のスタート地点、多摩都市モノレール線と西武拝島線の交わる玉川上水駅前にて。
新たに作った「さむらい会」の幟の下に。そのデザインは北の住人平方亮三彫士、旗手は三谷さん。



丁度12時。予定通りの時間に予定の場所に到着。さあ昼食の準備だ。
小平中央公園にて。



さあ気持ちを新たに午後の部のスタートを前に。



コースの中程の玉川上水沿いの春まだ浅き緑道にて。



これは平櫛田中彫刻美術館旧居宅部分の日本庭園の梅。におい立つ紅梅白梅が心を和ませる。



ここは彫刻家平櫛田中旧居宅の居室。そこでのひととき。和風の建築と庭園が訪れる人々の心を和ませる。





鑑賞を終わり再スタートを前に。



歩き続けて辿り着いた感のここは都立小金井公園の中。やれやれここまで来たかと皆、腰をどっかり。



さあコースも終盤。再び「さむらい会」の幟の下に元気よく。



バックの建物(旧浴恩舘)は 昭和3年に京都御所で行われた御大典で使用されたものを譲り受けて教育実践の場として当地で使用された。
下村湖人「次郎物語」構想の場。



反省会の場。15人で一つのテーブルを囲む。適度の疲労感と心地よい達成感が皆んなの表情に。



文と写真説明:草野興芳さん ・ 写真撮影:呉 信裕さん