太平山と栃木・蔵と堀のまち歩き ハイキング

2007−06−14

コース 東武日光線新大平下駅→大中寺→謙信平→太平山神社→見晴台→あじさい坂→國學
     院下(バス)幸来橋→塚田歴史資料館→山車会館→県庁堀→蔵の町観光館→栃木駅


6月14日、曇り空の出発地点新大平下駅に集まったのは、有馬、城戸、呉、草野、小中、近藤中島、原田、平野、吉田の10名のさむらい達。
駅前すぐの所にある広大な敷地の日立の工場の緑の豊かさに、これからのハイキング の楽しさを思い、いざ出発です。
高崎と小山を結ぶ両毛線(こんな鉄道があることを始めて知りました。好奇心を刺激され遠出のハイキングもいいなと思いました。)の踏切を越えると、やがて道は木立の中の静かな道へと変わり、土にかえる寸前のふかふかの枯れ落葉をふみしめての、里山の 道歩きは、のどかで、会話もはずみ、いつの間にか登りついたのが大中寺。
静寂に包まれた古びた大寺を想像しながら山門をくぐると、子供達の賑やかな声。遠足の小学生の元気な笑顔が待っていました。どうやら、この大平山一帯はこの地域の小学生の定番の遠足地になっているようです。私達にとっての金比羅山や唐八景のように。
参拝をすませ、大平山頂近くの謙信平へと向かい、たどり着いたのは丁度お昼どき。
ここ謙信平は、関東平野を一望できるビュウポイントであり、春には桜の名所ともなり、そんな観光客のための茶店が道の両側に並んでいて、その中の一軒の屋外座敷で昼食です。弁当を持参しなかったメンバーは、茶店の、蕎麦に漬物やお味噌汁などが ついたお膳。山歩きとのミスマッチがかえって新鮮で、嬉しそうで、楽しいランチタイムになりました。
昼食を終えて、大平山神社へ。いたるところにあじさいが植えられ、圧巻は参道入口へと下る長い長い石段の両側に植えられた色とりどりのあじさい。足の運びに注意しながら、公称千段の石段を無事下り、バスで栃木市中心部へ。
栃木市は江戸時代、市中心部を流れる巴波川(うづまがわ)を利用して物資を江戸へと運んでおり、様々な物資輸送の中心地だったその頃の面影を残した街づくりが行われています。川沿いの家は歳月を経た黒い板壁と白いしっくいのコントラストが、当時を思わせ、街なかには、昔ながらの軒の低い板壁の家々が並び、今はせんべい屋さん、竹細工の店バイク屋さん(!)、万年筆の修理屋さん(!)等などになっていて、懐かしさを感じる町並みでした。
蔵の街歩きの終点、栃木駅近くでは、本格的な雨となり、そんな中、反省会の会場探しは難航しました。飲食店や居酒屋など殆ど見当たらず、宇都宮在住の小中さんが歩き回って、中華料理の店を見つけてくれ、反省会を始めることができました。雨の平日とあって店は貸切状態、色々な話が飛び交い、アルコールの酔いを感じ始めた頃、散会となり、栃木駅より夫々帰路につきました。
                       
                         吉田 素子さん



曹洞宗太平山大中寺山門前石段にて
このお寺で関東の覇権を巡って対峙した越後の上杉謙信と相模の北条氏康が休戦協定を協議締結しました。今から439年前の1568年の事です。ドラマ風林火山 と同時代です。関東における曹洞宗の関三刹{中核寺院}の一つ。

         吉田・平野・小中・呉・原田・城戸
         近藤・有馬・中島・草野 の みなさん



縣庁堀の前にて
明治のはじめ栃木縣庁は栃木市のこの場所にありました。その名残りの名だそうです。


蔵と堀の街のビューポイントにて
電柱電線の地中化など街並みを整備して観光に力を入れる街、栃木市の町中を流れる巴波
(うずま)川に架かる橋の上にて  
 


栃木市中心部の史跡
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                          写真撮影と説明 : 草野 興芳さん