東京ウオーターフロントから佃島・築地を歩く
2018−11−08
近年、新しい東京の姿で住地域として人気の高いウォーターフロントで、東京の新しい息吹を味わう一方、江戸から東京への変遷を改めて感じることのできる築地界隈の歴史散歩の一日でした。 埋立地が区の8割近くを占める江東区の豊洲を出発。日本初のコンビニ店、IHIの造船事業廃止後再開発した豊洲地区・豊洲公園、高層マンションが立ち並びオリンピック村建設中の晴海、歴史ある佃を巡る石川島公園・佃公園を経て、レストラン「上海ダイニング」へ到着。ガラス越しに隅田川を一望しながら中華ランチセットで一休み。 午後から草野君が合流。これで参加者は女性5名、男性7名の12名に。 佃島は、家康に呼ばれて摂津国佃村から江戸に移住した34名の漁師たちが干潟を埋立てて造った土地で、江戸後期には長谷川平蔵が江戸市中の無頼・無宿者たちを狩り集めて送った人足寄場(強制職業訓練所)も置かれていました。 大坂住吉神社の分霊を祀った佃島の鎮守住吉神社にお参りし、江戸時代から続く佃煮発祥の老舗でお気に入りの佃煮を買い込んだ後、もんじゃ焼き屋が軒を連ねる月島もんじゃストリートを抜けて勝鬨橋へ。 橋を渡って築地(埋立地の意)明石町へ。現在、聖路加国際病院がある一帯で、幕末から明治にかけては外国人居留地でした。運上所(税関)跡、電信創業記念碑、シーボルト像、蘭学事始地碑、慶應義塾発祥の地、芥川龍之介生誕地、浅野内匠頭邸跡、その他多くの私立学校発祥の地が点在しており、これらを巡り回って、近代日本の文明開化に大きく貢献した土地であることを実感した一日でした。 築地本願寺本堂で一休みし、平成25年に立て替えられた歌舞伎座へ。5階屋上の屋上庭園と地下の「木挽町広場」で一服とお土産を買って、さむらい会御用達「さくら水産」銀座3丁目店で反省会。 合計約16,000歩の散策でしたが、アップダウンのない平坦なコースのため皆元気に歩き通しました。本日のコースは、銀座を除き全て、江戸時代から今に至るまで営々と続いて埋立てられて出来た東京の埋立地でした。 小原 一郎 記 |
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豊洲公園から晴海の高層マンション群を望む 陽気に誘われて桜も咲きだす小春日和の一日でした |
ストレッチ体操を終わって、さあ出発 |
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1950年代に東京都港湾局専用線として敷設された 「春海橋梁(赤橋)」 |
江東区から中央区へ渡る「春海橋」、昼食予約時間を気にして急ぐ小原ガイドと、おしゃべりに余念のない女性陣 |
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晴海から佃へ渡る朝潮橋脇にある、高潮対策の佃水門 | 東京海洋大学に展示されている、我国最古で現存する唯一の鉄船明治丸(重要文化財、現在の船舶は鋼鉄製) 左奥はスカイツリー |
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右の佃・月島の周囲の赤い点線が 本日のウォーターフロントコースの一部 |
石川島公園に隣接したレストラン「上海ダイニング」へ |
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午後のルートを説明する小原ガイド | 隅田川と奥のスカイツリー |
お腹もふくれニコニコの参加者
左から近藤、藤尾、林、西田、小原、下永、中島、城戸、高本、草野、前間、呉の各氏
住吉神社へ渡る佃小橋
橋下の水底には例大祭に用いる大幡の柱が保存のため埋設されている
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住吉神社の鳥居に掛けられた珍しい陶製の扁額 | その説明 |
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昭和38年に佃大橋が架けられるまで、 佃島と対岸の築地明石町を結んでいた 渡船場の跡 |
昭和37年まで行われていた住吉神社の八角御輿の海中渡御 |
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3軒残っている佃煮発祥の店のうち 1837年創業最古の店で佃煮を 買い求める一行 |
月島西仲通り「もんじゃストリート」 案内図 |
築地鉄砲洲にあった運上所跡 |
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運上所は今は料亭「治作」となっている |
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シーボルト像 長崎ではなくなぜここに? |
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築地本願寺 17世紀後半、佃島の門徒が中心となって海を埋め立て築いた土地に建てられたが、 関東大震災で焼失し1934年再建された |
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第5期歌舞伎座 | 歌舞伎座5階屋上庭園で休む一行 お疲れ様でした |