三島ハイキング

2018−02−08

 東海道五十三次・十二番三島宿、伊豆の国、大仁温泉旅日記 

 2月8日(木)正午過ぎ、関東より呉君、城戸君、若杉君、有馬さん、中島さん、藤尾さんがJR三島駅に到着。
三島在の本多が出迎え、合流。
取敢えず駅前の中華飯店で腹ごしらえ。ホンダ運転のトヨタのノアで伊豆の国市の韮山反射炉へ向かう。嘉永6年(1853)、ペリー艦隊の来航を受けて、幕府が鉄製大砲鋳造の為に反射炉と品川台場の築造を決定。かねてより海防政策を進言していた江川英龍を責任者として築造開始。しかし彼は完成を見ることなく世を去り、英龍を継いだ息子英敏が2基4炉の韮山反射炉を完成させたもの。世界遺産に登録されている。
続いて、代々世襲代官を務めた江川家住宅(重要文化財)を見学。
再び車で今夜の宿、伊藤園大仁ホテルに向かう。
巨人の長嶋茂雄氏がトレーニングをしたことで有名な山の上のホテル。富士山が見える。夜ともなれば、眼下の町の夜景は、函館、神戸、長崎のそれを思い起こさせて美しい。温泉で疲れを癒し、夕食はバイキング。それぞれ、好物を味わいながら、飲みながら談笑。食べ放題、飲み放題で満腹、そのまま無料のカラオケ会場へ。城戸君、若杉君のプロ肌の熱唱を子守唄にして呉君は早くも夢の中。女性群と本多も二人の熱唱に太刀打ち出来ずと悟って静かに退散。こうして伊豆の夜は更けていった。

 二日目は朝9時にホテルを出て三島バプテスト教会に向かう。
車中の話題が老後のこと、葬式の事になったので、教会の裏にある末盛山の教会墓苑に立ち寄る。
「我らの国籍は天に在り」(聖書)と刻まれた墓碑の前でしばし「死生学」学習。小高い丘から間近に迫る富士山、眼下に広がる沼津、三島の街並み、遠くに霞む駿河湾を眺める。本多の職場である教会に立ち寄り、お茶一服後、三島駅前の楽寿園を散策。門柱の「楽壽園」という新字体、旧字体混淆の看板に中島さんが気付く。さすが職業柄の教養。ここは、明治維新で活躍した小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営したもので、園内では約1万年前の富士山噴火の際流れ出た溶岩(三島溶岩流)の上に実生した樹木や野鳥を観察出来る。
次に2キロほど川沿いの道を歩いて三嶋大社へ。いつもながらウォーキング途中、有馬さんは、「はい、栄養補給」と言って甘いものを下さる。元気が出る。三嶋大社は源頼朝が戦勝祈願をしたという有名な神社で三島市の観光名所である。藤尾さんは御朱印を貰って満足そう。名物饅頭「福太郎」を土産に買って、神社正門前の有名なうなぎ屋で昼食。三島はどこからでも富士山が見え、水と花とうなぎの町である。折角うなぎ屋に入ったが、今回はうなぎの香ばしい香りを嗅ぐだけで、各自天ぷら丼か、天ぷらそばを注文。
繁華街を歩いて三島駅へ。途中の八百屋の店先で白菜の値札を見た誰かが「あら、安かー」という。日常を離れた旅先で、野菜高騰の現実に引き戻される。

2時頃、関東組は電車で帰途につく。本多は6人の帰途と、人生の旅の平安を祈りつつ、改札口で手を振る。今回も呉君の入念な下調べと好天に恵まれ、楽しい旅であった。

                               本多英一郎記






韮山反射炉 銅像は江川太郎左衛門




江川邸でガイドの説明を聞く




大仁ホテルから見える眼下の街並み  富士山、御殿場、箱根駒ケ岳まで





大仁ホテルからの朝焼けの富士山遠望




刻々と変わる富士山 宝永火口の全景




朝食 アジの干物美味




末広山教会墓地




末広山公園 三島市街地の眺望よし



   

教会牧師室で東高時代のアルバムを見る
 
 

本多家の家系図を見る (室町時代に遡る)

 
   

牧師室 (牧師の趣味で百均の電車、自動車等)

 






三島バプテスト教会玄関
中島さん、本多さんの奥様、有馬さん、本多さん、藤尾さん、若杉さん、城戸さん、呉さん




楽寿園 ごつごつしているのは富士山噴火時の溶岩
池の水は干からびて、滅多に満水にならない




三嶋大社 三島一番の観光名所




写真  :  呉 信裕