神奈川宿と浦島伝説の町ウオーキング
2016−03−10
3月10日、どんより曇りだったがウオーキングには支障はなく、JR東神奈川駅を10時スタートした。 距離は7,5kmで、早々に終わりかと思いきや、皆さんいくつになっても勉強家で、説明板に見入って、それぞれ読まれると時間がかかり、途中から読人を高本さんにお願いして、声を出して読んでもらうことになった。 まず最初に子安駅の北側の蓮法寺で浦島太夫・太郎父子の供養塔と亀塚を見て、京急新町駅裏を歩道橋からのぞき、オランダ領事館跡の長延寺跡・*笠のぎ稲荷神社にお参りする。 次に神奈川台場公園の石垣をのぞいたところで、もう12時になってしまう。 神奈川公園まで行って昼食とし、トイレも確保。 商店のみえない宮前商店街を歩き、フランス公使館跡の甚行寺(今はコンクリート製本堂)に寄り、京急神奈川駅横青木橋を渡り、大網金毘羅神社で昔の漁港を偲ぶ。 さらに旧東海道を西に進み、田中家をのぞく。今にも「おりょう」さんが出てきそうな料亭である。このあたりは広重の神奈川の浮世絵にある所で、急坂を登ると神奈川台の西の関門跡がある。さらに上に登って上台町公園があり、ここに来ると少し前までは横浜港が見えたのだろうが、今は、高層マンションで視界が防がれている。 高島山公園は高島嘉右衛門の碑があり、下って行くと本覚寺(アメリカ領事館跡)が国道の崖上に建ち、JRの路線が一望できる。 路線沿いに東京方面に500m位歩くと、浄瀧寺(イギリス領事館跡)があり、神奈川の大井戸(徳川将軍や明治天皇の通行の際使用)を見て、フランス領事館跡の慶雲寺へ。ここは浦島寺とも呼ばれ太郎が乙姫様からもらったおみやげがあるらしい。 最後の寺は成仏寺でアメリカ人宣教師の宿舎として利用されヘボン式ローマ字で有名なヘボンの宿舎でもあったらしい。 駅への帰り、高札所があり、これを見てスタート点の神奈川駅に戻り、一駅、横浜まで電車に乗り、スカイビル29階で反省会・・・ここから先は記憶が定かでない。 参加者:近藤 ・ 中島 ・ 林 ・ (浅井) ・ (吉岡) 小森 ・ 高本 ・ 三田村 ・ 葛野 ・ 三谷 ・ 呉 ・ 城戸 ・ 西田 西田 孝義 記 *笠のぎ稲荷神社・・・原稿ではのぎは漢字ですが機種依存文字でこのHPでは正しく表記できませんのでひらが なにしました。 |
京浜急行子安駅の北側の丘の上蓮法寺の山門前
浦島太夫・太郎父子の供養塔と亀塚の前
勢揃いし、これから竜宮城に向かって歩き出します
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蓮法寺の山門前 | 太夫・太郎父子の供養塔の中央に亀塚があります |
浦島太郎伝説関係資料 (サムネイル クリックすると大きくなります)
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笠のぎ稲荷神社 | 神奈川小学校の校庭の角にある神奈川宿の案内板 |
神奈川台場公園内の案内板の前
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神奈川公園にて昼食 | 干し柿の講釈中かな? |
ウオーキング参加者11名 呉さん撮影
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フランス公使館跡の甚行寺の池 | 青木橋・京急神奈川駅(右側)より東京方面を望むJRの鉄道 |
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坂本龍馬の妻「おりょう」が働いていた田中家の門前 今も営業中料理1〜2万円(夜席)創業文久年間 |
大網金毘羅神社 |
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神奈川宿の案内板 | 安藤広重の神奈川宿「波打ち際の景色はいたってよし」だったらしいが、2〜30m登っても現在はビルが遮り海面は見えない。 |
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神奈川台の茶屋 | 神奈川台の関門跡 生麦事件の時には島津久光の行列の通過を待って直ちに閉じ、イギリス兵の追撃を封じたと、 |
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神奈川台の関門跡の説明文 | 高島山公園の弁王歌碑 読解できず |
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望欣台の碑 横浜の都市形成期における恩人高島嘉右衛門の顕彰碑 | 明治初年 鉄道の開通と埋立の写真 |
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本覚寺 アメリカ領事館跡 | 広重の浮世絵の坂の現代版か? |
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フランス領事館跡の慶運寺 | 慶運寺の門前 |
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慶運寺 別名浦島寺というらしい 太郎の竜宮からのおみやげもあるらしい |
成仏寺 開港当時アメリカ人宣教師の宿舎として使われ、ヘボン式ローマ字で知られるヘボンの宿舎でもあったとか |
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最後に高札場 | 高札の復元版 |
いよいよ乙姫様2人追加で反省会を横浜スカイビルで
○○に忙しくて写真撮影は忘れました
写真撮影 : 呉 信裕 ・ 西田 孝義