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2003年東西戦 

2003年新春の1月3日、今年も毎年恒例のラグビー東西対抗定期戦が行われました。
私、20回生・西は30数年ぶりに母校を訪れその模様を観戦いたしました。その模様をレポートさせていただきます。
前日1月2日より長崎入りした私は、前夜は20回生のラグビー部OB5名とサッカー部OB3名の歓待を受け、しこたま呑んだのは言うまでもありません。

前夜半から降り続く雨の中、我が東高ラグビー部の現部員17名(1,2年)に対し西高は8名程の部員しかなく、現役戦は7人制で行われました。といっても、内容的には有名な香港セブンスやJAPANセブンスなどの7人制ではなく、15人制のラグビーを7人で行ったと云えると思います。


【現役戦】白黒が東高、赤黒が西高です。

試合の結果は西高の僅差勝ちでした。
しかしながら、巷間ラグビー人口の減少が言われる中、県下有数の進学校である我が東高ラグビー部が、同じく進学校の西高8名に対し17名の部員を抱えていることを私は今もラグビーに関わる者として大変嬉しく思いました。
ただひとつ残念だったのは、レフリー(東高のコーチか?)がウィンドブレーカー姿だったことです(写真黄色)。対抗戦でもありますし、選手諸君が雨中でがんばっている中、レフリーもレフリーらしい服装をして欲しかったと思います。レフリーがレフリーらしい服装をすることによって、選手にも緊張感が生まれ、練習ではなく実戦を行っているという気持ちになるではないでしょうか。
公認レフリーに協会から支給されるレフリー手帳には、レフリーの心得として「服装を正しくすること」が書かれています。レフリング自体は立派なものだっただけに、残念でなりません。
東高ラグビー部の女子マネです。(30数年前には居なかった。)

【OB戦】
現役戦に続き、OB戦が行われました。ピンクが西高、オレンジが東高です。
OB戦も西高の勝利に終わりました。
OB戦に39回生の井上君が出場していました。
彼は大阪・豊中RSにコーチとして引っ張り込んだのですが、Uターンして長崎に帰ってしまいました。2年ぶりの再会でした。

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