原爆被爆証言のページ

非核非戦の碑

17回生 若杉 徹 (2000.12.03証言)


長崎在住の17回生 若杉 徹 です。

 私は戦後生まれで、被爆当時のことは知りませんが、原爆の悲惨さはあちこちで目にし耳にします。
 私の通勤途中に「東本願寺長崎教務所」(筑後町)と言うところがあり、ここに平成11年11月9日「非核非戦の碑」が建立されました。長崎教務所では、戦後直ぐおびただしい数の遺骨収容作業を行い、長崎教務所に仮安置所を設けました。そして毎月9日には、名前も分からないこれらの人々の法要も勤めていたそうです。
 戦後50年を期に、戦争に倒れた方々と共に真の平和を希求しようと決意され「非核非戦」の碑を建立したとのことです。
 「非核非戦」の碑の横に縁起文を刻んだ銘板があるのですが、写真では反射して上手く撮れませんでした。別に縁起文全文を記しますので、戦後の惨状の一端をお読み取りいただき、「真の平和」を実現しましょう。

長崎教務所
正面の白い建物が長崎教務所
本堂入口
右側に「東本願寺長崎教会」
左側に「原子爆弾災死者収骨所」の
名板がかかげられている
非核非戦の碑:左側に縁起文の銘板
非核非戦の碑 縁起文
ステンレスの板に刻ってある為上にある
木の枝が映っている
『非核非戦』の碑について
 ここに一万体とも二万体分とも推定されたお骨が収納されています。このおぴただしい数のお骨は、昭和二十年(一九四五年)八月九日、米軍が投下した原子爆弾の直撃をうけて亡くなった身元の分からない方々の遺骨です。
 被爆した長崎の爆心地周辺は焼きつくされ、爆風に吹き飛ばされた瓦礫に混じって、悪臭鼻をつく屍が、道路の脇や川底などに夏日に晒され累々と横たわっていました。
 家族を捜し回っている人々の町に進駐してきた米軍は、爆心地そばの浦上川沿いに飛行場を造る計画を立てます。
 こうした惨状を憂えた人たちが、とにかく爆心地付近の死人を何とかしようと、給い始めました。やがて、西坂にあった教務所(当時は「東本願寺長崎説教所」と呼んでいた)の婦人会は、昭和二十一年(一九四六年)三月六日、教務所長の呼びかけに集まり、市郊外の門徒同志にも応援をたのんで人数が増えていきます。
 作業は長崎駅あたりから始まって大橋・住吉方面へ向かいます。水を求めて川の中に打ち重なったままの死体、あるいは半分は腐って半分は白骨になった者など途方もない数です。廃材を集めてはできる限りは荼毘に付す。食べ物に窮して痩せた体で荷車を牽き、そして急きょ仮設した教務所に集めるという毎日の作業でした。そのうち復員してきた僧侶も加わります。現在平和祈念像が建っている丘にあった長崎刑務所では、窓に向かって寄りかかったまま息絶えた白骨の群を見ました。そして作業が終わるころには秋風が吹いていたそうです。
 市の収容施設に引き取ってもらうことを計りましたが、そこも膨大な遺骨の山に手つかずの状態でした。その後も噂を聞いた人々によって持ち込まれた遺骨も加わってさらに量は増えます。置き場に困って収容先を捜し回りましたが雨露をしのげるようなところはなく、困り果てた末に一時は大浦の妙行寺の本堂に預かってもらいました。ところがそこも被害を受けていたため雨漏りがひどく床が抜けたりでどうにもなりません。結局教務所に仮安置の場所を設け、二十六個の木箱に納めて責任をもってお預かりすることになったわけです。
 一体この、出身地も名前も不明な人々はどういう人々なのか、今も知ることができません。
 私たち真宗大谷派長崎教区は、この物言わぬ人々の前でなすすべもなく、とにかく毎月九日には法要を勤め営んで来ました。そして十年ごとには県内外有縁の人々が集まっての法要も勤めてきました。また、五十年間の歩みの中で、一体これらをどのように処遇すべきかと、色んな議論をも重ねて来たのですが、なかなか結論が見つからないまゝ、長い歳月を経てしまいました。
 しかし、この半世紀の時代を費やして、私たちが識ることになった一大事があります。
 それは、ついに原子爆弾という核兵器までも作り出してしまった人間の知恵の愚かさです。そして、その知恵の無明の闇が生み出す罪の深さです。
 死者たちはこの人間の知恵の愚かさを、哀れみ、悲しんでくださっています。その悲しみの声は実際の耳には聞こえません。しかし心の耳を澄ます時、戦争にたおれた方々が「非核非戦」と叫んでおられます。
 今日、碑の建設に意を決した私たちは、『非核非戦』を碑文の銘としました。そしてさらにその声は、「"我だけ"が地上の主人公になるのでなく、あらゆる命と"共に生さよ"」と願ってくださっています。
 ここに永い歳月をかけて私どもが聞き取った死者から出ずる慈悲の声を石に刻んで、真の平和を希求する人間の世に公開いたします。
真宗大谷派 長崎教区

※この縁起文は、資料が乏しいため、当時を知る方々の聞き取り調査を基に作成したものです。